≪内容≫
姉と同じ獣医科大学に入学したジュスティーヌに、上級生による新入生歓迎のハードな儀式としごきの日々が始まる。手荒い歓迎の一環として、全身に動物の血を浴びせられ、ベジタリアンであるにもかかわらず、うさぎの生の腎臓を強制的に食べさせられた彼女は、今までにない異変を感じ始め、次第に自分の内に秘めた恐ろしい本性と秘密に気づいていく……。
これは・・・正直無理して見ない方がいいです。
グロイ映画って一瞬だったり、引きのアングルだったり、ながくても10秒くらいだと思うんですけど、この映画カニバリズムに裂くシーンが長いです。
簡単に言うと、人が嘔吐してるシーンを丁寧に見せられてる感じです。人の嘔吐って伝染しません?「失神者や吐き気を催す観客が続出した」ってネットにありましたが、すごく分かる。私は映画館で観なくて良かったと思いました。なぜなら観たくないシーンが多すぎたし、本気で体調おかしくなりそうだと思ったから。
重要設定と世界観
設定①両親、姉、妹、全員が同じ獣医科大学
設定②大学のしきたりとしてうさぎの肝臓を食べることと、動物の血を浴びる
設定③主人公はベジタリアンかつ神童と言われている
設定④姉はクレイジー
世界観①クラブ頻発
世界観②いじめなのかよく分からないが、自分の布団が投げ出される
世界観③なぜか性的な服装や性的なパーティ?が当たり前
青一色と黄色一色になった男女を掛け合わせ「黄緑になるまで出てくんな!」とか言われる。でも、このシーン芸術感あって好きでした。oh~フランス~!って感じ。絵がいい。画が。
さて、設定と世界観だけでも
「獣医科大学ですよね・・・?」と頭をひねりたくなる感じですが、見方も色々あると思うので、私が感じたこと書いて行きます!
見方①大人(社会)へのイニシエーション
主人公は"神童"と噂されるくらい成績優秀なのですが、この学校の先生は君こそがガンである、といわんばかりに本人に、君の成績が下がることを祈ってる、と吐き捨てる。
さらに先輩から服についてのダメ出しをくらう。獣医科大学でパーティに行く格好が必要なのか甚だ疑問であるが、この学校ではそれがルールらしい。
おそらく勉強熱心である主人公は化粧やファッション、恋愛とは自分らしくないものという意識があった。しかしここではそんな個人のこだわりは通用しない。
個人が剝脱されていくと、社会がその部分を埋めていく。着たくなかった服を自分から着て、自分からクラブに行って、初めての経験もアグレッシブに済ませた。
人は社会に出たら社会に染まる。環境に染まる。そういった過程を描いてるという見方が一つ目。
見方②人間と動物の違い
あーこのテーマはフランスっぽいなぁ・・・と思いました。
フランスといえば私の大好きなバタイユではないか・・・。
エロティシズム論は人間と動物をわけるものは「労働」だと語る。
労働によって生まれたのが「禁止」。この「禁止」を背負って入学したのが主人公。そして「禁止」によって生まれた「侵犯」の象徴が姉ではないでしょうか。
・・・ていうかこの映画、「エロティシズム」じゃね?
そう考えると腑に落ちるし、「獣医科大学」というのは必要不可欠な設定になってきます。
さらに、「禁止と侵犯」がテーマなら、不必要に思えるカニバリズムシーンの長さにも納得がいきます。これは、主人公が姉の吹っ飛んだ指をしゃぶりまくってるシーンで猛烈に吐き気を誘うシーンなんです。
なぜならほんとうにしゃぶってるの。ぴちゃぴちゃぷちゅぷちゅとね。なんていうのかなぁ?するめいかをしゃぶる・・・みたいな?都こんぶをしゃぶる・・・みたいな?ちゅうちゅうと指を吸うからさ、そこに詰まってるであろう血とか神経とかそういうのを想像しちゃって気持ち悪くなる。書いてて気持ち悪くなってきた。
これほど耳を閉じれないことを呪った映画はないわぁ。。。
禁止されるほど、侵犯は強くなるし、禁止が強いほど侵犯の快楽も深い。
おそらくこの姉妹は社会的な道徳や常識が人より強固についてたんじゃないかと考えられる。だって両親とも獣医科大学出身ってけっこうエリートですよね。
その禁止をことごとく侵させる謎のパーティやら不道徳極まりない洗礼の意味は、侵犯の快楽を乗り越えられるかどうかの試練のように思えてくる。
そう考えると、この先生の主人公への嫌悪は、道を踏み外すフラグのように思えてきます。あまりに人間らしく常識と道徳に彩られた優秀な頭脳は、侵犯の快楽に勝てるのだろうか?
侵犯の快楽がなぜ学生たちに必要なのか。
それは、彼らが獣医学生であるから・・・つまり、このスクショは主人公が解剖(たぶん)した犬なのですが、なんか気持ち悪くないですか?遊んでるみたいで。
彼らは獣医学科を卒業すれば、獣医になるんだと思いますけど、動物の命にかかわっていくし治療も検死も血や解体作業が必須になるじゃないですか。
だからそこで、治療や検死や血に快楽を覚えちゃいけないのですよ。
普通の人間より死や生命に直面する彼ら。そしてそこに手をつっこんでいくことを選んだら、人より禁止を自覚させられる場面が多くなる。
エロティシズム的思想で言えば、
エロティシズムとは、死におけるまで生を称えること
であるから、生への絶対肯定が繰り返される禁止への侵犯になる。しかし、人としてやっていい侵犯とやってはいけない侵犯があるから、ニ重禁止みたいなものが命と関連する職業の人には架せられるのだと思います。
過剰なまでのパーティと性の解放は、カニバリズムとか死とかそっち方面への侵犯を避けるための超重要事項だったのではないかと思います。
いや、フランスえぐいわ。久しぶりにイっちゃってんなって映画に出会いました。