≪内容≫
セックス、金、権力、ドラッグ。現実とは思えない衝撃的な実話を映画化したのは巨匠マーティン・スコセッシ監督だ。レオナルド・ディカプリオが演じたのはニューヨークに住む、富と名声に貪欲な若手の株式ブローカー。不正が横行し果てしのない欲望が渦巻く街に住むその男の名前はジョーダン・ベルフォート。
いやこれR20だろ・・・・!?と思ったw
個人的にはこんなレオを観たくなかった・・・・。゜(`Д´)゜。ウワー!!!
しかもこれ約3時間。3時間ずっと酒と女と麻薬漬けの毎日を見る自分って大丈夫か?と思えてくる。←真面目か
綺麗ごと抜きに言うなら金がなかったら大切な人も救えない
いい人間にもなれる
教会や政党への多額な寄付
絶滅危惧鳥だって救える
まあ正直そうですよね。その金が実際にきちんと必要な人に届くのかは分からないけど、ただ指をくわえて今日の世界に文句付けるよりかは動ける。金があるから。
この映画はレオ演じるジョーダン・ベルフォートの金の美学という感じです。
私も金はある方がいいと思う。金の存在自体は悪でも汚れでもなんでもないのに、金金言うと下品に聞こえるのは、金の存在を下品に貶めた人間がいるからだと個人的に思っています。
金もそうだけど、なんでも人を超えてはいけないんだと思います。
人の存在以上に大きくなると非人道的とか、道徳に反するとか、そういう話になってくる。人が生活するのに必要なのは食べ物と水。それをよりよくするため、いわゆる文化的な生活をするために必要なのが金。
金が下品になるのは、妻の大切な家族が死んでも、その家族が持っていた金のことを考えてしまうとき。
とはいっても、ただ生きるという原始的な基準にはもう戻れない。
ただ生きるより楽しんで生きたいと思うのは自然とも言える。ここまで来るともう個人的な倫理感というか人生観というか、そういうものになってきますね。
金持ちが一重にこんな豪華絢爛に走るかと思ったら大間違いで、いざというときのためにコツコツ貯める人もいるだろうし。
んで、金がなかったらいざ自分の大切な家族や恋人が事故に遭ったり、高額な治療が必要になった時助けてあげられないじゃないですか。自分自身がそういう目に遭った時にも迷惑かけるし・・・。だからそういう意味で金がないと辛いのです。
だから金と言うのは難しいなぁ~と思いながら見ていました。
豪華な家も家具も大量のおもちゃも金がなきゃ買えないんだけど、無くても生きていけるもの。そういうものに課金してきた愛ってお金がないと冷めちゃうんでしょうね。一種の夢みたいな状態なのかなぁ。
金持ちになる前に結婚した妻を捨てて、金持ちになって知り合った女性と再婚する。そのこと自体を責めたり、文字だけ見て「愛じゃない!」と決めつけることはできないんだけど、この絵、千年の恋も冷めるわなぁという感じ。
自分が好きになった男がこんなことしてたら完璧に引くし、辛くなりますね・・・。
こんなレオ観たくなかった・・・このときばかりはレオの演技力が憎らしい・・・。
あんなにイチャイチャしてても時が経つと、こんな感じでケンカになります。
アメリカの会話ってどうしてこんなに面白いんでしょうね?自分が訳者だったら吹き出しそうw
生きるためにお金はぜったい必要なんだけど、その使い方や考え方は人それぞれ。こんだけ破天荒に生きるのもそれはそれで楽しそうだけど、私だったら・・・細く長くコツコツと生きたい。地味だけど。