深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

ヴィーナスという子-存在を忘れられた少女の物語-/トリイ・ヘイデン~人間は神にも仏にもなれないし、なったら友達は作れない~

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≪内容≫

 心を閉ざした少女がただ一人頼りにしていたのは、知的障害をもつ姉だった。情緒障害児との心の交流を描き、世界中に感動を呼んだ著者が、福祉の連携の難しさ、教育の理念の実践の対立など、新たな問題に立ち向かう渾身のノンフィクション。

 

 トリイが担当するのは、そのとき対象年齢となる子供だけなので、誰にも気付かれずに年齢を重ねてしまった子供とは触れあえない。

 このお話はとても悲しい結末が待っていた。

 

 そして今回はトリイとは全く逆のアプローチをする助手・ジュリーとの会話がとても印象に残りました。なぜなら、私が思っていたこと、言葉にできないけど気持ち悪いと思っていたこと、分からないけどおかしいと思っていたことがここには書かれていたからです。

 

ビューティフル・チャイルド、学校へ行く。

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「ヴィーナスがからっぽに見えるのは、基本的にあの子の頭がからっぽだからだよ。あの一家の問題よ。フォックス家の子はみんなそうだもの。あそこの子は全員・・・」

  ヴィーナスは九人兄弟の末っ子で、三人のちがう父親がいる。ヴィーナスをいつも連れてくる姉のワンダは障害を持っている。他の兄弟のも精神障害や刑務所と収容所にいたり、拘留中に脳に障害が出てしまったり、コミュニケーションに問題があるとしてセラピーを受けている。

 

 ヴィーナスは一言もしゃべらないし動かない。ただ椅子に座って、自分の周りの人が自分を動かすから動く、というだけだ。

 トリイはヴィーナスから直接原因を聞き出せず、ワンダや家庭訪問で親に話をするも、実のなる答えは得られなかった。

 

 トリイなりにヴィーナスと少しずつ距離を縮めていく中で、突然ヴィーナスが倒れ、両親が逮捕されるという事件が起きた。

 虐待の可能性に気づいていても分かりやすい証拠もなく、トリイの直感だけでは人は動かない。その結果、ヴィーナスは両足の指を全てなくしてしまったのだ。

 

コミュニケーションに正解はない

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人って、いつもいつも愛情深く、落ち着いた気持ちにはなれないものよ。ときには不愉快に思ったり、腹が立ったり、つかれたり、気持ちが動転したりするわ。そういうものもすべてをひっくるめてわたしたちなのよ。そういう感情がほかの人を傷つけないようにコントロールするのは大切なことだけど、それと、そういう感情がまるで存在しないかのように振る舞うのとは同じことじゃないわ。そういう気持ちがあるってことは悪いことではないのよ。そんな気持ちがないように振る舞うのって、気持ちの上で嘘をついているってことだわ。

 ※引用文の太字は私がつけました

 トリイが体当たりで、感情を出して子供たちと接触していくのとは対照的に、慈悲深いマリア様のように常に穏やかで言い聞かせることでやっていきたいジュリー。

 

 これが個人の生き方で、大人同士の職場なら問題はなかったと思うが、ここでは暴れまわり、奇声を発し、いいことと悪いことの境界線が分からない子供たちが相手なのだ。

 一人の子供が暴れたり、叫んだりすれば、他の子供たちも不安になって泣き出したり逃げだしたりしてしまう。教室が教室であるために、力ずくで暴れる子供を抑えつけたり、逃げる子供を追いかけたり、言っても聞かない子供たちに声を荒げるトリイのやり方を受け入れられないジュリー。

 受け入れられないだけでなく、それを見たり、自分がそれを頼まれても否定してしまう。

「だけど、なにがよくてなにが悪いといえるわたしたちって、いったい何様だっていうの?」とジュリーはいい返した。

「わたし、そういう価値判断をするのって、すごく居心地が悪いの。ことの善悪って何なの、トリイ?わたしは神様じゃないわ、それなのにどうやってそれがわかるの?わたし、自分のことを神様みたいに思いあがりたくないわ。この国にはそうじゃなくてもすでに心の狭い人たちが大勢いるわ。わたし、そういう人のひとりになりたくないの。わたしたち、そんなことをする立場にないと思うの。価値観のことは教会が教えるべきなのよ。学校じゃなくてね」

  ※引用文の太字は私がつけました

 

 二人のこの会話はすごく哲学的というか、答えのないお互いの信念というか、世界との向き合い方のように感じました。

 私はトリイの言う「そんな気持ちがないように振る舞うのって、気持ちの上で嘘をついている」に激しく同意しながらジュリーの「わたし、自分のことを神様みたいに思いあがりたくないわ。」という気持ちも分かる。

 

 だけど、私がもし友達になれるなら、トリイなんだろうなぁ、と思う。というのも、私が出会った初めこそ素晴らしいと思ったけど後々信用出来なくなった人がジュリーみたいに、常に穏やかで負の感情なんてもったことがないみたいな人だったから。

 

 トリイはジュリーの言い分を理想だと言い、だけど自分だってそう信じたいし、それが出来るならしたいのに、と苦い思いを打ち明けている。これはトリイの本なのでジュリー側の言い分は書かれていないけれど、ジュリーもジュリーでたぶん苦い思いはしていたと思う。

 

 この二人の素晴らしいところは、面と向かってこういう風にお互いのやり方の違いについて話し合い、自分の気持ちを意見として言えることだと思う。この二人だけでなく、トリイの本では大人も子供も語り合うシーンがよく出てくるが、これ中々日本ではない光景だなぁ、と思いながら読んでいました。

 違う事にはきちんと「それは違うわ」と即答するんですよね。

ヴィーナスという子―存在を忘れられた少女の物語

ヴィーナスという子―存在を忘れられた少女の物語

 

  トリイって相当に打たれ強いと思う。思えばシーラのときもラドのときもトリイのやり方は非難されたし、今回に至っては助手と校長にも苦言を呈されている。それでもトリイは逃げだしたり投げ出したり、やり方を変えることもなく、迷いながら自分の信じた道を進んでいく。そして最後には、ヴィーナスの感情を呼び戻すのだ。