深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

子どもたちは、いま/トリイ・ヘイデン、斎藤学~無言症の子供たちから教えられたこと~

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≪内容≫

情緒障害児との交流を綴り世界中を感動につつんだ作家と、家族や虐待の問題に第一線から発言しつづる精神科医がいじめ、教育、家庭などについて語りあった対談集。98年のヘイデン来日講演の内容も収録する。

 

トリイのノンフィクションものを全て読み終わったので、トリイが来日したときの内容が書かれているこの本を読みました。

テレビでもやっていたようなのですが、情報がなく・・・トリイが実際に話しているときの様子とか、声のトーンとか話し方とか聞きたかった・・・。

 

無言症の子供たちから教えられたこと

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トリイは情緒障害のある子供たちと関わってきましたが、その中でトリイが特別に勉強したのが「選択性無言障害」という、肉体的には話せるのに話さないという疾患についてでした。

 

言葉にするということは、これは感情が関わってくることです。だから、それが恐かったんだと思います。いったん書こうということになれば、外に出してその感情と直面しなければならないわけです。

 

話せても、勉強のときにノートに鉛筆で答えがかけないこと。

鉛筆が持てない訳でも、答えを知らない訳でも、文字が分からない訳でもない。ただ、書きたくない、やりたくない、したくない・・・そんな子供にも出会ったトリイは、なぜ?どうして?と考えつづけ、そこから考えられる答えを教えてくれました。

 

逆に文字がかけても、喋れない子供もいます。

 

話せないことや書けないことの裏側にこういう一面があったとは衝撃でした。だって、誰もが作文を書いたし、卒業文集とか、自己紹介カードとか、とにかく話せない子はいても書けない子はいなかったからです。

 

昨今、虐待だけでなくいじめの問題も問われていますが、トリイはいじめの問題についても齋藤学さんと話しています。

 

いじめの問題というのは、自分自身を受け入れることができないところから始まっている問題なのです。そして自分を評価することができないために起こるさまざまな問題のひとつがいじめなのです。おそらくいろいろ問題に対処していくなかで、最終的に何度も何度も扱っていかなければならない本質が自己評価の低さといえるでしょう。そして、いまそのいちばん前面に出てきているのがいじめの問題です。 

 

自分自身と向き合うのが怖いから、問題から目を背けるために他者に目を向けるのかな?と思いましたが・・・実際、自身と向き合うと言っても、その強度というかどの程度の痛みなり苦しみが伴うのかというと、ほんとうに人それぞれですよね。

 

自分自身と向き合う?簡単じゃん!って思える人もいれば、それ自体をなかったこととして封印している人もいると思います。

タイガーと呼ばれた子―愛に飢えたある少女の物語

タイガーと呼ばれた子―愛に飢えたある少女の物語

 

「タイガーと呼ばれた子-愛に飢えたある少女の物語-」の記事を読む。

この本に出てくるシーラという少女はエキセントリックな格好をしているのですが、そのことについて「ほんとうの自分を知られたくないから、こういう格好をしている」というようなことをトリイに告げるのです。

 

他にも「ただ生まれてきたってだけで殴られなければならない」と自分のことをいう子もいました。

 

トリイはこういう人たちを「ミルクをもらえなかった人」といい、そういう人たちにいきなりミルクをあげても、もらったことがないのだから相手は戸惑うし、疑心暗鬼になる、と言います。

子どもたちは、いま

子どもたちは、いま

  • 作者: トリイ・ヘイデン,斎藤学
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 1999/08
  • メディア: 単行本
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言葉は人が名言を求めるように、ときに誰かを助けるけど、それは遠いところにいる誰かから誰かであって、近い場所にいる相手には言葉ほど届かない。届けたいなら、時間と行動なんじゃないかな・・・と思ったりしました。