≪内容≫
第2次世界大戦後、海外へと逃亡したナチスの戦犯アドルフ・アイヒマンの捕獲作戦を実現へと導いたドイツ人の検事長フリッツ・バウアーにスポットを当て、バウアーがいかにしてアイヒマンを発見し、追い詰めていったのかを描いた実録ドラマ。1950年代後半のドイツ・フランクフルト。ナチスによる戦争犯罪の告発に執念を燃やす検事長フリッツ・バウアーのもとに、数百万人のユダヤ人を強制収容所送りにしたアドルフ・アイヒマンの潜伏先に関する情報が寄せられる。ナチス残党が巣食うドイツの捜査機関を避け、イスラエルの諜報機関モサドと接触したバウアーは、アイヒマンを追い詰めていくが、同じ頃、バウアーの失脚を狙う者たちが策略をめぐらせていた。
アイヒマンって確か「海辺のカフカ」に出てきたよなーと思って見てみました。
これはアイヒマン自体の話ではないのですが、こうやって尽力した人がいたことを知れて良かったです。
情熱は人を変える
主人公で、アイヒマンを追い詰めた男・フリッツ・バウアーは、国を愛し、国の未来を案じ、アイヒマンというドイツが生み出した犯罪者をドイツで裁こうと尽力を尽くした。
アイヒマンは亡命先であるアルゼンチンにいると、イスラエル諜報特務庁(モサド)に伝えたバウアー。しかし、アイヒマンの身柄を拘束したならドイツに引き渡してほしいと条件をつける。
バウアーにとってこれは最重要事項だった。
アイヒマンの罪とは、母国ドイツの罪であり、ドイツ全体で受けなければならない痛みなのだということなのだろう。
舞台は1950年代の後半。ナチスドイツが終わった1945年から数年が経っていたが、国のトップには元親衛隊がゴロゴロいた。
逃亡した元仲間たちが捕まらないように彼らもまた戦っていたのだった。
彼らにとってバウアーほど邪魔な人間はいない。
なぜなら、バウアーは金にも興味がなく、地位や名誉、出世欲、そういった俗物では全く釣られなかったからだ。
それに、彼の情熱が元親衛隊を脅かした。彼らはバウアー失脚を企て、何度も捜査に邪魔をいれ、アイヒマンが捕まらないように戦略を練って行く。
バウアーはユダヤ人亡命者であった。しかし、ユダヤ人だからといって国を愛する気持ちは変わりないのに、ことごとく起きる横やりと、侮辱的な発言によって心が折れそうになることもあった。
バウアーは過去にナチスに従うと文書で誓約をしてしまった。そのときの自分のことを許せないのだ。
バウアーは収容所から出るために、そんな誓約を交わしてしまった。人は、自分が追い詰められたとき、自分の信念や相手との関係を売ってしまうことがある。
バウアーのときは、ナチスの収容所だった。
それから戦争が終わり、若い世代にはそういった乱暴は取引はないように思えたが、バウアーがその人間性を信じともに戦ってきたアンガーマンの存在理由は最後の最後で効いてくる。
彼は同性愛者である。
そのことを嗅ぎつけた元親衛隊は、彼の刑務所行きか、バウアーの国家反逆罪での告発を天秤にかけ、アンガーマンを追いつめるのだった。
アンガーマンは結婚していて近々子どもが生まれる予定だった。もちろん妻にも誰にも同性愛者であることは明かしていなかったが、バウアーは自らも同性愛者であることからか、アンガーマンが同性愛者であり、そのために生まれる苦しみも察してエールを送ってくれたのだ。
この映画、ただアイヒマンを追いつめるだけでなく、検事長であるバウアーが主人公というのもあってか、裁判や量刑、法律、そういった問題も描かれています。
一個人としては同意できることも、法の前では裁かなければならない苦しみ。裁いておきながら自らも個人の欲望が抑えられない野性。社会はどこまでが天国への道で、どこからが監獄なのか。