≪内容≫
東野圭吾のベストセラー小説を寺尾聰主演で映画化。娘を少年たちに陵辱され殺された長峰重樹は、匿名の密告電話で犯人を知り、復讐に乗り出す。一方で刑事の織部と真野は、少年に十分な厳罰が与えられない司法制度に疑問を抱きつつも長峰を追うが…。
被害者に加害者への復讐を認めることはなんでダメなのか。殺された側は、取り上げられて終わり。社会が加害者に責任を追及する。加害者を守る。
社会システムの意味
妻がすでに亡くなっており、たった一人の家族である娘を拉致・強姦の末殺された長峰重樹は、犯人や事件の詳細を警察に尋ねるが、警察は残忍な少年たちの行為を遺族が知ることは何も救いにはならないとして伝えることを避ける。
何も教えてくれない警察に絶望していた長峰の元に一本の電話がかかった。匿名でかかってきた電話は、娘を殺した少年の名前、居場所を伝えて切れた。
長峰は電話の主が言った少年の家に赴き、そこで娘が受けた残酷な仕打ちをビデオテープの中から見つける。
少年を追いかけて軽井沢までやってきた長峰。
すぐに少年を見つけることができず泊まることになったペンションは、長峰と同じ、父一人、娘一人で経営されていた。
長峰はすでにテレビでも新聞でも報道されていたため、正体に気付いたペンションの娘は、長峰の娘と同じ境遇から復讐されても嬉しくない、と告げる。
しかし、ペンションの父親は長峰と同じ境遇から猟銃を渡すのだった。
ひきがねひくとき躊躇しちゃだめです
躊躇した瞬間 情けがするっと入り込んでくる
情けを感じたらこっちの負けです
長峰は、警察が情報を伝えないこともだとは思いますが、何より少年が犯した罪は、少年法により軽くされてしまうために自ら行動を起こしました。
自分の娘は殺されて、それは殺人に変わりないのに、犯人の年齢や状態によって罪の重さが変わる。自分の娘は殺されてもう変わることも出来ないというのに。罪の重さが変わることは、殺された側の名誉に関わる気がしませんか。
社会がなるべくできるだけ平等の権利を人に与えるためのシステムなら、なぜ殺された側が殺した側によって変化させられなくてはならないのか。
これは、殺された側ではなく殺した側が社会的には弱者だから守られるのかな?と個人的に思います。遺族より加害者が弱者なのです。社会のルールを守れない、違反する人間は弱者。だから、弱い人間を守るシステムは加害者を守る。
人間、賢くなり過ぎてバカになったのか?と思えてくる内容でした。こういうのが日常なら、こういう考えになったって何にもおかしくない。弱い人間を守るから、強い人間が殺される。長峰は、娘を殺された世界で犯人を守る社会でどうやってこれから生きていけると思うんだろう?弱い加害者を守って、長峰は勝手に生きろと言うのか。それで長峰が社会や世界を憎まずに生きると思うんだろうか?
どれだけシステムに殺される人間がいるんだろう。