≪内容≫
“おれはシーザーを愛さぬのではく、ローマを愛したのだ” 高潔な勇将ブルータスは、自らの政治の理想に忠実であろうとして、ローマの専制君主シーザーを元老院大広間で刺殺する。民衆はブルータスに拍手を送ったが、アントニーの民衆を巧みに誘導するブルータス大弾劾演説により形勢は逆転し、ブルータスはローマを追放される……。脈々と現代に生きる政治劇。
お前もか、ブルータス?で有名な本作。
完璧な人はいない
立って罪をならすべきはシーザーの精神だ、その精神というやつには血がない。出来ることなら、シーザーの精神だけを捉えて、その肉を傷つけずにすませたいのだ!が、そうはゆかぬ、となれば、シーザーに血を流してもらわねばならぬのだ!
シーザーを殺すことを決意した高潔の勇将ブルータスは、殺人者にはなりたくないのでもっともらしい理由を語る。
だからこそシーザーの側近であったアントニーは殺さずにおいた。ブルータスを焚きつけたキャシアスはアントニーも殺すべきだと強く勧めるが、高潔なブルータスにはアントニーがシーザーを愛していたからというだけで殺すことはできなかった。
民衆はブルータスの演説により、シーザー殺害は正しいことであったと理解した。しかし、そのあとのアントニーの演説が民衆の心に小さな黒い染みをつけたのである。
きみはその悪しき手を振りかざしながら、ブルータス、口には善き言葉を吐く手合いだ。何よりの証拠に、見るがいい、その手で抉ったシーザーの胸の傷口を、しかも口には「シーザー万歳!」を叫びながらな。
民衆としてはシーザーだろうがブルータスだろうが、自分たちの生活を良くしてくれる人で、人格者であれば(そう見えれば)そこまで問題ではないわけです。
私はこの作品の前にこちらを読んでしまったので、もしこの作品を読む前だったら違う感想が生まれたのでは?と思うのですが
- 作者: コーマック・マッカーシー,黒原敏行
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ただただ、ブルータスが世間を甘く見すぎたなぁと思いました。
結局シーザーのやり方は、ローマを愛していない!として、ブルータスはシーザーは愛しているけど、シーザーの精神は殺さねばならない!という言い分なんですが、やってることは殺しなのでね。どれだけ言葉で綺麗に飾ろうが。
でも、自分は高潔な勇将だから、下衆には絶対になりたくないし、ゲスのげの字も見たくないんでしょうね。
殺しておきながら、自分は無実潔癖純白であろうとする。シーザー殺しがただの権力闘争ではない証拠として残したアントニーにその矛盾で追い詰められるのであった。
この話、なんで現代まで読み継がれるかって、今の時代もやたらいい人ぶるやつ、やったことを言葉できれーーーいにラッピングして渡してくるやつがいるからね。シーザーとブルータスとアントニーと誰が相応しいとかじゃなくてね、皆同じ人間なのさ。みんな汚いしずるいんだよ。高潔な人間だと思う人がいたら、たぶんその人のただ一面しか見ていないからそう見える。