深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

ジュリアス・シーザー/シェイクスピア~人はみんなずるいし汚いし完璧な人はいない~

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≪内容≫

 “おれはシーザーを愛さぬのではく、ローマを愛したのだ” 高潔な勇将ブルータスは、自らの政治の理想に忠実であろうとして、ローマの専制君主シーザーを元老院大広間で刺殺する。民衆はブルータスに拍手を送ったが、アントニーの民衆を巧みに誘導するブルータス大弾劾演説により形勢は逆転し、ブルータスはローマを追放される……。脈々と現代に生きる政治劇。

 

 お前もか、ブルータス?で有名な本作。

 

完璧な人はいない

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立って罪をならすべきはシーザーの精神だ、その精神というやつには血がない。出来ることなら、シーザーの精神だけを捉えて、その肉を傷つけずにすませたいのだ!が、そうはゆかぬ、となれば、シーザーに血を流してもらわねばならぬのだ!

 シーザーを殺すことを決意した高潔の勇将ブルータスは、殺人者にはなりたくないのでもっともらしい理由を語る。

 だからこそシーザーの側近であったアントニーは殺さずにおいた。ブルータスを焚きつけたキャシアスはアントニーも殺すべきだと強く勧めるが、高潔なブルータスにはアントニーがシーザーを愛していたからというだけで殺すことはできなかった。

 

 民衆はブルータスの演説により、シーザー殺害は正しいことであったと理解した。しかし、そのあとのアントニーの演説が民衆の心に小さな黒い染みをつけたのである。

きみはその悪しき手を振りかざしながら、ブルータス、口には善き言葉を吐く手合いだ。何よりの証拠に、見るがいい、その手で抉ったシーザーの胸の傷口を、しかも口には「シーザー万歳!」を叫びながらな。 

  民衆としてはシーザーだろうがブルータスだろうが、自分たちの生活を良くしてくれる人で、人格者であれば(そう見えれば)そこまで問題ではないわけです。

 

 私はこの作品の前にこれを読んでしまったので、もしこの作品を読む前だったら違う感想が生まれたのでは?と思うのですが

血と暴力の国 (扶桑社ミステリー)

血と暴力の国 (扶桑社ミステリー)

 

  ただただ、ブルータスが世間を甘く見すぎたなぁと思いました。

 

 結局シーザーのやり方は、ローマを愛していない!として、ブルータスはシーザーは愛しているけど、シーザーの精神は殺さねばならない!という言い分なんですが、やってることは殺しなのでね。どれだけ言葉で綺麗に飾ろうが。

 

 でも、自分は高潔な勇将だから、下衆には絶対になりたくないし、ゲスのげの字も見たくないんでしょうね。

 殺しておきながら、自分は無実潔癖純白であろうとする。シーザー殺しがただの権力闘争ではない証拠として残したアントニーにその矛盾で追い詰められるのであった。

ジュリアス・シーザー (新潮文庫)

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  この話、なんで現代まで読み継がれるかって、今の時代もやたらいい人ぶるやつ、やったことを言葉できれーーーいにラッピングして渡してくるやつがいるからね。シーザーとブルータスとアントニーと誰が相応しいとかじゃなくてね、皆同じ人間なのさ。みんな汚いしずるいんだよ。高潔な人間だと思う人がいたら、たぶんその人のただ一面しか見ていないからそう見える。