≪内容≫
アルチュール・ランボーとポール・ヴェルレーヌ。19世紀フランス象徴主義を代表する詩人である二人が出会ったのは、1871年、ヴェルレーヌが27歳、ランボーが16歳のときだった。詩作による名声と若く美しい妻マチルドを手中にし、詩も世界も共に彼に微笑んでいるかに見えるヴェルレーヌ。だが、その生活に恐るべきランボーを迎え入れてしまった時から彼らの“地獄の季節”が始まった…。衝撃の映画原作。
これ映画死ぬほど見たいけどプレミアなのかめちゃくそ高いん・・・。
んで小説を読んでみたのですが、読みやすくてサラサラーって終わるんですが・・・うん。ランボーが「ティファニーで朝食を」のホリーゴライトリーとカブるんですよ。
永遠に誰にも何にも捉えられない自由さとそれ故の孤独が。
芸術と生活
いわゆる芸術家って「世間と折り合いがつけられない」とか「個性的」とか「奇人変人」とか色々ネットでも意見が出てくるし、実際小説家や音楽家でも自殺してたり未遂だったり、自由にやってるようで実はとても苦しんで生きてるのかな?と思うことが多いです。
で、本作のメインであるランボーとヴェルレーヌは詩人です。
ランボーの実家は田舎の農家で母親は朝から晩まで農業を営み、収穫は家族総出で行うなど、なんとなくトルストイの描く勤勉な農家を想像させる一家でした。
しかし、ランボーはそんな一家に育てられながら力仕事を嫌います。
一方のヴェルレーヌは裕福な軍人の家に生まれ、労働意欲もなく貴族の若い娘と結婚し、妻の実家のお金と自分に甘い母親からのお金で詩を書いて生きています。
そんな「働くこと」に背いた二人の生活が本書に描かれています。
自分の夢の行く先は、あの<白い大地>と風にはためく白い布>のあるところに違いない。しかし、その場所はいったいどこなのか。
働かない二人ですが、生きていくためにお金は必要です。しかし、詩は「労力」ではないため詩で生きていくことはできません。
ではどうやって生きていくか?
人の金で生きるのです。
ですが、そのことに罪悪感を感じる表現は一切出てきません。ランボーは若さと情熱をヴェルレーヌに与え、対価としてヴェルレーヌは母や妻から金をもらいランボーとの生活に注ぐ。
ヴェルレーヌは十代初めの頃、自殺にとりつかれ、何度も死ぬことを試みた。それは死を望んでのことではなく、生きていることだけでは耐えられなかったからである。つまり、ヴェルレーヌは、生きていることが不安で仕方なかったのだ。右を向けば左が気になり、上を向けば下が気になった。
ランボーを愛しながら若い妻の肉体も愛し、妻を邪険にしながら離婚はしない。とにかく優柔不断でその場その場で対応を変えるヴェルレーヌにランボーは苛立つようになる。
しかし、二人の行いは二人が裂けていた社会から制裁を受けることとなり、二人の生活は幕を閉じるのだった。
ランボーはヴェレーヌの不安定さに苛立ちながらもそれが彼が描く芸術への源泉であることを認め、更に自分の紡ぐ「言葉」で社会に立ち向かうことはできないことも体験した。
それでも詩という世界に身を委ね歳を重ねてきたヴェレーヌと、力仕事の代名詞であるアフリカへ旅立ったランボー。
ランボーの真意を知ることはできません。人は、何者かになりたがり、自分の名前以外の世間的な名を欲しがるけれど、それが万人の幸せへの切符ではないのです。そして世間的な名を持ってから、それでは求めていた場所に辿り着かないことを知る人もいるのです。
- 作者: クリストファーハンプトン,Christopher Hampton,黒田邦雄
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 1996/09
- メディア: 文庫
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芸術家とはやはり孤独なんだろうな、と思います。それは求めても得られないものを欲してしまったからなのか、欲しいものが分からないからなのか、どこに行っても誰と居ても満たされない心。そんな心が自分の中心に根を張っている。