≪内容≫
その少女は、大草原にポツンと建つ小さな家で父親と暮らしていた。家の前には家族を見守る一本の樹。
毎朝、どこかへと働きにでかける父親を見送ってはその帰りを待つ少女。壁に世界地図が貼られた部屋でスクラップブックを眺め、遠い世界へ思いを馳せながらも、繰り返される穏やかな生活に、ささやかな幸せを感じていた。幼なじみの少年が少女に想いを寄せている。どこからかやってきた青い瞳の少年もまた、美しい彼女に恋をする。3人のほのかな三角関係。そんな静かな日々に突如、暗い影がさしてくる……。
この映画に出会うまで、こんなことが起きてたなんて知らなかった。「シシリアン・ゴーストストーリー」と同じで、映画にすることで知らない人に届くことがある。
重要なこと程言葉は無力
なににもまして重要だということは、口に出して言うのがきわめてむずかしい。なぜならば、ことばがたいせつなものを縮小してしまうからだ。おのれの人生の中のよりよきものを、他人にたいせつにしてもらうのは、むずかしい。
(スタンド・バイ・ミー/スティーヴン・キング)
この映画に言葉はありません。
大草原での生活が丁寧に描かれていて、そこでの暮らしや太陽が上がり日が沈むまでの自然の動きが主で、ほんの味付け程度に人間模様があるだけです。
このお話は、セミパラチンスク核実験場という現カザフスタンで旧ソ連が行っていた核実験に基づいています。
この大草原の中で、家々の距離は遠く移動は車と馬でした。
そこに暮らす人たちに必要な柵は編み込まれた紐で、片手でひょいと上に持ち上げて頭をくぐらせれば通れるようなものでした。
遮るもののないもない大自然の中で父と娘はひっそりと暮らしていました。外にベッドを置いてそこで眠ることもできるくらいの開放感。
生まれてからずっと東京や大阪など発展した土地で暮らしていると「四角い空」とか「本当の空」と言われてもなんだかピンとこない気がすると思うのですが、
※「あどけない話」で東京に空がない、という文章がある。
この映画を見るとそれが分かる気がします。こういった世界で生きていたら、高層ビルが立ち並ぶ場所など「本当の空」ではないと思う気持ちが分かる。
こんな大自然の中でも暮らしている人がいて、ロマンスがある。だけど、キングが言うように、「おのれの人生の中のよりよきものを、他人にたいせつにしてもらうのは、むずかしい。」
そこは金網で包囲されていて、自分の手でひょいと持ち上げることも、身体をくぐらせることもできないのだ。
誰かに勝手に引かれた境界線。もともとその先に行こうとなんてしていなくても、こんなことをする権利がどこにあるというのか。
この映画は言葉がない分、観てる人の心が誰にも侵されず誘導されることがありません。
もしかしたら、この映画に言葉がないのはそういう意味もあるのかもしれませんね。作品というのは、多かれ少なかれ誰かが勝手に作ったものだから。この草原に引かれた金網を取り払ったのかもしれない。
思えば第二次世界大戦は、知識が人を守るためでなく人を殺すために発展しましたね。今のスマホの原型も。むずかしくても、できなくても、大切にしようという心持ちがほんとうに大切なもの。