
≪内容≫
SEXしても友達。
それが二人のハッピールール?
NYを拠点に、有能な人材のヘッドハンティングをしているジェイミーは、LAで活躍する敏腕アート・デイレクターのディランを転職させるため彼をNYに招待する。会話をするうち二人は、自分たちの恋愛観が似ていることに気づく。二人とも多くの恋で失敗してきたため、恋愛そのものを楽しむことができなくなっていた。思い切って転職を決め、NYに住むことになったディランとジェイミーは、あっという間に仲の良い友達になった。しかしある時ジェイミーがもらした「セックスしたいわ」という一言をきっかけに、二人は、恋愛ナシ、感情ナシ、甘い言葉厳禁を条件にセックス・フレンドになることにした。
理想的に思われた関係だったが、ちょっとしたことから、今までのオトクな関係に微妙なズレが生じてきて―。友情にセックスが加わっても、男女の友情は成立するのか?
もしも恋愛=いつか来る別れ、と思うなら恋人同士でやるようなことも、友達というカテゴライズのまま行いたい。だって友達なら離れることはあっても別れることはないから。
どこまでが友情?
恋愛も感情もなし。オンリー性行為!と聖書アプリに手を載せて誓い合う二人。
恋愛も感情もなしだから、行為のオーダーも包み隠さない。アレしてほしい、コレはいや、それは気持ちよくない、それはいい・・・と赤裸々にほんとうにスポーツのようにこなしていきます。
恋愛に疲れていたけれど、時間がたてば恋にまた恋する。
ジェイミーの終了発言で、友情関係は終わりを告げるが、それは性行為をしない友達に戻った、ということであり二人の交友関係は続く。
だけど、一回ならず何度もやってしまってる二人にとって、どこまでが友情でどこからが恋愛の感情なのか、その線引きを最初に聖書アプリに誓ったのに、ボーダーラインは男女で異なった場所へ引かれてしまう。
かたくなに恋愛を拒むディランは、何をしてもそれは「友達」のカテゴリに含まれる。一方ジェイミーは「友達」は影で悪口を言ったりしないと言って、家族にジェイミーとの関係を聞かれ彼女を批判したディランは「友達ではない」と判断する。
二人とも恋愛感情ではない、と思っていたのは、そう思いたかったからなのかもしれない。
お互い混乱し、傷つけられた悲しみやプライドで本当はもっと一緒にいたいのに素直になれずにいたけれど、それを解消してくれたのは、厄介なお荷物だと思っていた互いの両親だったのだ。
後悔するくらいなら傷ついても当たって砕けたい。