深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

【映画】ハイエナ・ロード~今を生きるカナダ軍と永遠の中の一瞬を生きるアフガニスタン~

スポンサーリンク

f:id:xxxaki:20190405224929j:plain

≪内容≫

イスラム系武装組織タリバン発祥の地と言われる、アフガニスタン・カンダハル。
至る所に地雷が仕掛けられた危険地帯で“ハイエナ・ロード"と呼ばれる復興道路建設の任務に
従事するカナダ軍の兵士たち。狙撃部隊の精鋭ライアンは、ある任務中に敵の総攻撃を受けるも、偶然逃げ込んだ村の長老により命を救われる。極秘任務を帯びた情報将校ピートは、ライアンを救った長老が地元の有力者たちにも絶大な影響力を持つ<伝説の戦士>であると確信し、任務のためにライアンを伴い彼との接触を試みる。「自分の銃弾がいつか世界を変える」と信じるライアンと、一見柔和ながら時に「任務のため」と冷徹さを見せるピート。果たしてピートの任務の真の目的とは?殺し合いが日常と化した過酷な環境の中、2人を待ち受けるものとは?

 

www.youtube.com

  映画だからとドラマチックに作っているわけではなくドキュメンタリーっぽい。恋愛要素が入っているけど全体的に地味というか、リアルだった。そして、リアルなせいかタリバンとの抗争理由?とかが分からず、後にめちゃくちゃwikiにお世話になりました。

 

 

永遠の戦闘地区

f:id:xxxaki:20190421103124p:plain

  中東の戦争といったら、パレスチナのユダヤ人VSアラブ人という印象でアフガニスタンの内戦について全く無知なため、この戦いの意味が分りかねる・・・。

 

 なので、ここは主人公側のカナダ軍が語る、アフガニスタン・カンダハルの土についてのお話について思ったことを書いていきます。

 

 そもそもの前提として一般的に国と国の戦争や内戦、お隣同士のトラブルとかいじめとか、そういう諍いっていずれ終わるものという認識だと思ってるんですね。

 「永遠」という言葉に憧れを抱きながらも、死ぬことは当たり前なのだと認識しているからこそ"今"目の前にある命を守らなければならない、"今"起きている戦いに終止符をつけなければならない、と。

f:id:xxxaki:20190421104205p:plain

  んで、内容に書いてある

 

狙撃部隊の精鋭ライアンは、ある任務中に敵の総攻撃を受けるも、
偶然逃げ込んだ村の長老により命を救われる。極秘任務を帯びた情報将校ピートは、ライアンを救った長老が地元の有力者たちにも絶大な影響力を持つ<伝説の戦士>であると確信し、任務のためにライアンを伴い
彼との接触を試みる。「自分の銃弾がいつか世界を変える」と信じるライアンと、一見柔和ながら時に「任務のため」と冷徹さを見せるピート。果たしてピートの任務の真の目的とは? 

 

  のところで、命を助けられた狙撃手のライアンは、命を助けてくれた長老を「味方」と認識する。

 だが、将校ピートは"パシュトゥヌワレイ"というパシュトゥーン人のイスラム教より前にできたとされる古い掟を持ち出し、長老は掟に従っただけで、味方ではない、というようなことをオブラートにライアンに伝える。

 

 現場で銃を構えるライアンと指揮管のためインカム(と言っていいのだろうか?)で本部から指示するピートでは、権限がピートにあってもライアンは自分意思で銃を撃つことが可能である。

 「自分の銃弾がいつか世界を変える」という情熱を持つ真っ直ぐなライアンに対して、ピートは自分たち第三国の銃弾は掟を越えられないことを悟っている。(たぶん)

f:id:xxxaki:20190421105444p:plain

  なぜなら、"パシュトゥヌワレイ"には保護の項目もあるが、報復の項目もあり、掟は何よりも当事者たちにとって守るべきものであるからだ。

 "今"目の前にある命を守りたい、守るべきだと信じるライアンと、"今"は古くから繋がってきた歴史の中の一瞬であるという掟の概念を知るピート。

 

 誘拐された長老の孫娘たちを一刻も自分たちの手で保護すべきと主張するライアンはもう絶対正しいんだけど、正しさが終結を呼ぶわけではなくむしろ悪化させることをピートは知っていた。

 "パシュトゥヌワレイ"の掟が現代技術からしたら「いや、おかしいやん。そんなんしなくても現代のGPSとか武器使ったら無駄な殺し合いしなくて済みますよ?」ってことだとしても、それを守りそれを大切にしてきた部族からしたらものすっごい大切なものなのである。それゆえに誰かが死んだり殺されたとしても、その死の善悪を決めるのは第三国ではないのだ、というのがたぶんこの映画のテーマなのかな?と思います。

 

アフガニスタン人は言う

"我々には時間がたっぷりある"と 

 

  おそらく、先進国と呼ばれる国は"今"を個人的に生きているんだと思います。"今"不便だからこうしよう、"今"大変だからこう変えていこう、っていう意識が技術を産み、便利さに繋がり、衛生面に繋がって、結果寿命が延びてった。

 だから、第三国にあたる先進国が介入すると、"今"を重視した戦略になってしまい現地の人々が積み上げてきた目に見えない大切な何かが崩れてしまうのだと思います。

 

そうなるとね、命を助けても恨まれますよ。だって、命より大切なものが彼らにはあるのに、それを第三国の「命より大事なもの?名誉?ごめ、よくわかんない、でも死んだら何にも残んないじゃん?それに生きてたらどうにでもなるから!」という"第三国の常識"で計ると、

大切なものは何だ戦争になるもん。

 

 「ピートの任務の真の目的とは?」はもちろんこの戦いを少しでも良くすることだと思います。だけど、それの主人公が第三国になったら今度は第三国が恨まれて、また別の戦いが生まれる。

 しかもこの場合の「名誉」は長老がBDKを殺すことでしか得られなかったのに、それをライアンが自分の善を信じるが故にその機会を奪ってしまった。もうそうなると長老は永久追放です。

 「永久追放?生きてたらなんぼじゃん?てかなんで皆長老が生きてるのに迎えないの?おかしくない!?」は通じない。長老も自ら承知で死を選ぶしかなくなるのです。

ハイエナ・ロード(字幕版)
 

 戦争の心理って難しいですよね。とにかく「善」を押しつけるから。「こうした方がいいよ!」「今はこれが普通だよ!」「今はこんなことできるよ!やってみてよ!」「え?できない?じゃまず私がやってあげるから!見てて!」っていうのがさ、戦争だけじゃなく日常でもあるあるなんだけどさ、人から見たらくだらないものでも、どーーしよーもないものでも時代遅れでも大切なものとか不変でいたい気持ちってあるんだよね。押し入れにしまってあるボロボロのぬいぐるみを捨てられて現代の高いリバティとかハリスツイードのぬいぐるみもらってももらったことより捨てられたことに対しての恨みが勝つよ。例えそれが良かれと思ってしたことでもね。