≪内容≫
天才ギタリストの蒔野(38)と通信社記者の洋子(40)。
深く愛し合いながら一緒になることが許されない二人が、再び巡り逢う日はやってくるのか――。
出会った瞬間から強く惹かれ合った蒔野と洋子。しかし、洋子には婚約者がいた。
スランプに陥りもがく蒔野。人知れず体の不調に苦しむ洋子。
やがて、蒔野と洋子の間にすれ違いが生じ、ついに二人の関係は途絶えてしまうが……。
芥川賞作家が贈る、至高の恋愛小説。
パリが舞台の中年の恋愛と言うとこちらを想像してしまうのですが、これとは全く違った大人のストーリーでした。
巡り合うその日まで
「人は変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」
主人公の天才ギタリスト・蒔野は未婚で子供のころからギター一筋だったが、コンサートに来た洋子を紹介されてから、初めてギター以外に心を動かされた。
コロンビア大学を卒業し、ジャーナリストとして戦争中のイラクに赴き、テロに脅えながらも記事を書きあげ、独自の解釈で現地で起きていることを伝えている洋子。父親は蒔野も知っている有名な映画監督だった。
すでに洋子の両親は離婚しており、洋子がその監督の娘であることはひた隠しにされていた。
蒔野は華やかな生まれと経歴、そして博識でインテリ、会話上手で美しく、だがそれに甘んじず、体を張って戦地に赴くエネルギッシュな洋子に惹かれていく。しかし、洋子への愛情が燃え上がると同時に蒔野のギターというか音楽への手ごたえは薄れていってしまう。
一方ジャーナリストの洋子は40歳を迎え、母となる人生を選ぶ最後の時期を迎えていた。大学時代からの知り合いリチャードと婚約を決め、母となる決意をしていたが蒔野と出会ってしまったことで、洋子の心は揺れる。
理性的で冷静沈着な洋子だったが、蒔野という天才的な芸術家の前ではただ一人の女でいいとさえ思ったが、それはリチャードに対しては絶対に生まれない気持ちだった。
「君の中には、そういう冷たさがあるよ。ずっと感じてた。冷たい。そのせいで、僕はいつも不安だった。僕が人生で、本当に苦しんでいる時に、君は果たして僕の側に居続けてくれるだろうかって。-君は自立している。結構。君の生い立ちのせいかもしれない。誰と結婚しても、君はきっとそうだっただろう。僕には、百歩譲ってそれでもいい。だけどケンには、冷たい立派な母親であるよりも、どんな時でも大らかなあたたかい愛情で包み込むような母親であってほしい。」
この二人の恋愛が"大人"だと思うのは、決して二人だけの世界にとどまらず、お互い想いながらも世の中・社会・人類、そういうスケールで人生を設計しているからだと思う。それは二人ともが幼いときから家族という小さな世界に閉じこもるではなく、大人の世界に足を踏み入れていたがため、それ自体が基本となりルーツとなったのだと思われる。
なので、私が一番共感できたのはリチャードなのだった。リチャードの言う
家族であるなら、たとえ間違いを犯したとしても、最後の最後まで味方であってほしい。
というのが、社会スケールで物事を見るのではなく、家族という小単位で生きる人間の言葉だなと思うのでした。もちろん社会がどうなってもいいわけではなく、芸術も好きだし、難民に思いを馳せることもあるのだけれど、それが出来るのは家族という基盤があってこそできることで、そこが崩れれば社会云々言ってる場合じゃなくなってしまうのである・・・。
この二人は愛しあいながらも、しがらみというか、お互いが出会う前に繋がれていた縁によって引き離されてしまう。しかしその事実を知ったあとも、相手を恨んだり未練がましく連絡を取ったりしない。あくまでスマートに、自分のやり方で愛していくのだ。
とりあえず登場人物が皆かっこよかった。すんごい頭いいんだろうなぁ・・・と思いながら読んでると、ふとある光景が蘇ってきた。
パリと津軽。赤ワインとリンゴ酒。私は天才的なギタリストより大人とは裏切られた青年だという太宰が好きなのであった。