≪内容≫
些細な嘘をついたために不良に強請られていたエーミール。だが転校してきたデーミアンと仲良くなるや、不良は近づきもしなくなる。デーミアンの謎めいた人柄と思想に影響されたエーミールは、やがて真の自己を求めて深く苦悩するようになる。少年の魂の遍歴と成長を見事に描いた傑作。
これ結構宗教的・・・というか神とか悪とか、あとベースにカインとアベルという聖書の物語があるので簡単ではない、という感じです。ちなみに戦争が始まり、世界は卵なのだと語るあたりは「訪問者」の中の「エッグ・スタンド」が浮かびました。
あとがきで萩尾望都氏に触れられてるんですが、確かに「トーマの心臓」の世界はこの「デーミアン」を読むことでもっと深部に触れられると思います。
もし「トーマの心臓」でモヤってる人がいたら、本作は大きな助けになるでしょう。
ちなみにカインとアベルのデーミアン論は「屍鬼」への連絡船となるでしょう。色んな作品の母体となっている可能性が含まれている本作。読んでみると思いもよらないひらめきに繋がるかも。
とはいえ、この作品は発売当時の時代背景や、宗教的感覚がないとかなり難しいというか噛み砕くのに時間がかかる気がします。なぜなら、今の表向き個性崇拝、自分の意見をSNSに垂れ流しできる時代では"真の自己を求めて深く苦悩する"という苦しみにぶち当たる人口が少ないと思うからです。
善と悪、聖と穢れ
神は善なる者で、気高く、父のような存在、美しくかつ崇高、感情に訴えるものーたしかにそのとおりだ。でも世界は別のものからも成っている。そっちはなにもかも悪魔のせいにされている。そして世界のこっち側では、その半分は隠蔽されて、黙殺される。神は万物の父として讃えられるけど、命の土台である性については口をつぐみ、ひどいときには、魔性の業、罪深い業だと言うこともある。
本作のすごいところは、この本に書かれている考えが今の時代でも新しく映ることだと思います。私は先に「エロティシズム」を読んでいたので、「マクベス」の有名な「きれいは穢(きたな)い、穢いはきれい」という聖なるものと穢れは一心同体ということに新鮮味はありませんが、それでも後述する「カインとアベル」の話は目から鱗でした。。
さて、私はアラサーでこの悩めるエーミール(シンクレア)は十歳です。敬虔なクリスチャンの元に生まれたエーミールは常に善なる行いに身を捧げなければならない。それが「普通」の家庭に生まれたから。家族はもちろん、姉たち兄弟も善なる人々でした。だが、エーミールは自分の中にある自分で制御できない蟲に気付いていた。日本でいうところの癇癪持ち、というところですかね。
恐怖や見栄という善とかけ離れた感情に導かれて窃盗をしたと嘘の告白をしたがために、彼は不良に口止め料として金をせびられることとなる。
全くの事実無根の嘘だが、嘘をついたことがすでに悪だし、その嘘が悪であるがために嘘であると信じてもらえない可能性、更には悪い子の烙印が押される恐怖によってエーミールは家の中から金を集め不良に渡す。
転がり続けるエーミールの道に一人の少年が立っていました。彼こそがタイトルにもなっているデーミアンだったのです。
カインとアベルはアダムとイブの最初の子供で兄カインと弟アベル。二人は神さまにお供えするんですが、カインは農作物をアベルは羊を捧げる。神様はアベルの羊だけ受取りカインの供物は無視。カインはアベルを恨み殺してしまう。神様はカインにアベルがどうしているかを聞くとカインは知らんと嘘をつく。これが人類で最初の殺人であり嘘であるとされている。
カインはその後追放されるが、復讐を恐れる。そのため、神はカインに復讐をされない印を授けた。
でもたぶん、いやきっと、それは額のしるしじゃなかった。それでは郵便の消印みたいじゃないか。そんなにひどいことなんて、人生にそうそうあることじゃない。なにかほとんど気づかないような薄気味悪いものだったはずだ。普通よりも少しだけ多くの才気と勇気がその目に宿っていたとか。その人物には力があって、みんな、その人物の前では尻込みした。こうしてその人物は"しるし"を帯びることになった。
(中略)
カインの子孫は恐れられた。"しるし"を持っていたからだ。人はこのしるしを、あるがままに勲章とは説明しないで、反対のものにした。しるしを持つ者は気味が悪い、と言ったわけだけど、事実そのとおりだったんだ。勇敢で気骨のある人物は、他の人から見たらいつでも気味が悪かったのさ。
そもそもなぜカインの供物を神様が無視したかというと、当時の儀式の生贄というのは羊だったのである。
- 作者: ジョルジュバタイユ,Georges Bataille,湯浅博雄
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
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「宗教の理論」では供犠が持つ意味が語られていて、そこでは端的に言うと「死」が必要なわけです。流れる血が必要なのです。ほら、ワインはキリストの血、パンは聖体と言うじゃないですか。だから自分で刈り取った命(カインの農作物)はすでに死んじゃってるわけですよね。
じゃあ羊飼いのアベル一強じゃないスかぁ!カインは最初っから負けじゃねスかぁ!と思うのですが、それだって人間の考えなわけで神様からしたら「だから何?」って程度の差かもしれない。とにかく神様の考えていることや真意など人間には分かるわけもなく、分かろうとすること自体おこがましいわけです。
でも自分がアベル側だったらいいけどカイン側だったら納得できない人間も出てくるわけです。「は?最初っから与えられてるモンが違うから自分にできる最高のものを捧げたのに、神様は自分が欲しいものしか受け取ってくれない。でも神様が欲しいものは自分に与えられていない。でも生きていかなければならない。自死は最大の罪だから。じゃあどうすればいいんだ?」とね。
そういう人間は自らが強くなって手にしていくしかないじゃないですか。そんで、そういうことを考えることが「意志」と呼ばれ、神様の言うとおりの物を準備できる人間には理解不能な薄気味悪いモノを持ってるヤツ=しるしを刻まれたヤツ、となったのです。
で、そのしるしを持ったヤツ(カイン)はアベルを殺す。神はアベル側の人間が復讐できないようにカインにしるしを刻む。そのことをデーミアンは、意志のない弱い人間が強い人間に対抗できない逃げ道がここなのだ、とエーミールに語る。
僕らはしるしを持ったヤツらより弱いから仕返しが出来ないのではなくて、それが神の意志だから、となれるようにこの話がある、と。
まあそう考えると、神様は復讐を恐れたカインを守るために刻印したのではなく、アベル側の無垢な人間を守るためにカインに刻印したと考えて納得出来ますね。
神の意志=自分の意思と受け取れる人間を愛し、神の意志とは別に自分の意思を持つ人間に印をつけ金輪際収穫ナシ!と罰を与える。
前々から思ってたけど改めて神様えげつないことしますね。自分が罰の対象となる人物を知るために印をつけたのだとしたら、相当この神様執着深いな。
この話、たぶん読む人の心理状況や環境によって変わると思うのですが、今の私の感想は今でこそ当たり前になっている個々の考えや意志というのは先人たちの多大なる苦悩の果てに生まれたものなのかもしれない、ということです。
そんなのどーでもいーじゃーーーん、とか口が裂けても言えない時代に生きていた人が悩んで悩んで苦しんで生きた軌跡なのかな、と思いながら読了しました。
想像力試される・・・。