≪内容≫
マンハッタンの高級レストランで料理長を務めるケイトは、どんな仕事も完璧にこなす仕事人間。ある日姉が交通事故で亡くなり、姉の一人娘のゾーイを引き取ることになるが、なかなかうまく接することができない。一方、仕事場ではケイトと正反対の性格のニックが副料理長として雇われることになり…。
セクシーという言葉は性的魅力という意味に自動変換されて外見や声などを想起させる気がするんだけど、私が男の人にセクシーさを感じるのはもっぱら料理している姿なのである。エロイのではない。セクシーなのだ。「愛してるよハニー☆」とかでなく料理する一連の姿。ちなみに料理はなんでもいい。
いい頑固・ダメな頑固
迷惑は かけてない
自分のやり方があるだけ
洋画のレストランものでお馴染み、利益と顧客を重んじるオーナーと技術と誇りで勝負するシェフの葛藤。総料理長のケイトは手を抜かず部下にも厳しく、更に客にも厳しい。言いがかりをつけてくる客には正論でお引き取りを願う彼女の姿勢に対して店の存続を案ずるオーナーは苦言を呈する。しかし、頑固一徹な彼女は聞く耳を持たないため、セラピーに通うよう命じるが、そこでも彼女は自分のやり方に一ミリも疑問を感じていなかった。
厨房の仲間たちやオーナーはそんな彼女のやり方に苦い思いを抱きながら受け入れていたが、ある日シングルマザーの姉と一人娘が事故に遭い、姉の死と幼いゾーイとの生活が突然ケイトの身に降りかかる。
ケイトは腕前を生かしてゾーイに高級な料理を振る舞うが彼女は食べてくれないのだった。
そんな中、副料理長としてやってきたニックは陽気で明るくフレンドリーな性格を生かしゾーイと距離を縮める。ゾーイはニックの食べかけのパスタをもくもくと食べ尽くし、そこからケイト・ニック・ゾーイの三人の世界が出来あがっていくのだが、ケイトはニックに店を奪われてしまう恐怖に襲われる。
ケイトの頑固なやり方より柔和なニックが総料理長になった方が客の挨拶や対応も上手くいくだろうとオーナーは思ったのだ。
ニックと恋仲になっても、店にこだわりニックの言い分を聞けなくなっているケイトにニックはこう答える。
ほんの一部だ。
と。
いい頑固としては、ケイトの食材や料理へのこだわり、手を抜かないプロ意識の高さ、店の人気を維持し続ける為の頑なさは長所としての頑固だ。
しかし、厨房が私のすべてという考えに固執してしまい好きな人を傷つけることや周りと理解し合う前にはねのけてしまうこと、自分の技術こそがすべてでそれ以外は切り捨ててしまう頑なさは短所としての頑固になる。
高級レストラン。高くて質のいい食材とそれを使いこなせる腕の融合で成り立つ料理。それは「素晴らしい」だろうけれど、子供がこんなものを出されて嬉しがるだろうか?
特にこれから一緒に暮らす大人がこんなスペシャルなものを出してきたら、メニューがイヤなのではなくて「こんなものが毎日出るはずがない。きっと近々私を施設に入れるために今美味しいものを食べさせておこうと思っているのだ」と疑心暗鬼になっても私はあまりおかしくないと思う。
それにケイトは大切な姪っ子だからこそ手の込んだ料理を作ったかも知れないけれど、これはゾーイからしたら「やさしくない料理」なのだ。冷たいけれど、これはケイトが自分の腕をひけらかすために作ったと見られてもしょうがないくらい相手への心遣いがない。
人はお金を払ってモノを買うけれど、モノがモノだけで済むならデリバリーやネットで済む。人はコミュニケーションにもお金を払っているのだ。不思議だけれど、美味しいご飯なり満足する治療なりっていうのは、単に食材や薬だけではないんですよね。ほんっとに不思議に思うけど、昔から「誰かと食べるご飯は美味しい」というように、「病は気から」というように人は見えないやさしさを無意識に感じ取って生きているのだ。
又吉も言っている、やさしくないことは面白くないのだと。
ラストは華麗なエンド。料理にもやさしいっていうのがあるように、お笑いにもやさしさがあり、病院にもドラッグストアにもジムにもスーパーにも美容院にも、皆なんとなく行く場所や行きつけがあるとしたら、きっとそこに自分にしっくりくる「やさしさ」があるからなんだと思う。
シェフの映画↓