深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

【映画】MW-ムウ-~今の自分が本当の自分だという確証を持てますか?~

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≪内容≫

手塚治虫原作、玉木宏と山田孝之主演のアクションサスペンス。16年前、ある島の島民全員が一夜にして死亡する事件が発生。惨劇は政府により闇に葬られるが、奇跡的に生き延びたふたりの少年が存在した。

 

原作ファンからすると「えっ!?」的な感じで、逆に原作知らない人は起承転結納得できたんだろうか・・・?と思ってしまった。玉木宏はめちゃくちゃ美知夫にそっくりだけど・・・だけど・・・。

 

美しいサイコパスを産んだ元・不良神父

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  結城美知夫(玉木宏)賀来巌(山田孝之)はある島の生き残りだった。実はその島は"MW"という神経ガスの犠牲になった廃村で、現在国のトップに立っている人たちの中には二人以外の島の生き残りの人間がいた。美知夫は神経ガスによる後遺症に苦しみながら自分の死と同時に世界も終わらせようと生き残りに接触しMWの居所を聞き出し殺していった。

 美知夫の犯罪を知った賀来は神父として祈りながら美知夫を手助けするという罰を犯しながら美知夫を止めようとするが・・・。

 

 ・・・というのが映画版の内容です。

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  原作は、島の生き残りではありますが、彼らはもともと島の人間ではなかった。別々のルートでたまたま島で出会って、賀来が美知夫にいたずらをしたのが発端です。だからこそ賀来は美知夫に逆らえず、美知夫は賀来の罪を利用するのが成り立つのです。

 映画版の「島の生き残り」だけでは二人の絆の根拠が難しいかな、と思いました。

 なぜ賀来が美知夫の殺人を止められないのかというのは、美知夫が幼い時に賀来から受けた性的行為によってバイセクシャルになった(当時の感情では異常?というのかな)から、という負い目が強いのです。

 

 島にいた幼い日の賀来は不良の一人だったのですが、島の人々がMWによって死んでいくのとそれを放置した政府に対して怒りではなく恐怖を感じます。救いや助けを求めて神父になることで美知夫が変わったのは自分の淫行のせいだと思うのです。

 

 しかし一方で美知夫は完全に壊れます。幼い日の華奢で弱気な美知夫はこの性行為と虐殺という性と死が一気に訪れた日にもう一人の自分が覚醒するのです。

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  美知夫は自分の美しさで(なんてたって原作は梨園の生まれ)男女ともに魅了し殺していくのです。その美しき猟奇殺人犯と角刈りの異色の神父というキャラ設定がすでに文学的というか芸術的なのが原作です。人は見た目が9割、というように、人を見た目でキャラ設定してしまう。

人は見た目が9割 (新潮新書)

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  しかし、実際の人間は見た目では分からない。善人と悪人の判断をどこでする?騙されて殺されてからでは真実は誰にも分からない。

 

 さらに、自分がどちら側の人間であるのかという答えはどこにあるのでしょうか?もしあの日二人が出会わなければ、MWが無ければ、二人はあの日のまま気弱な受け手・美知夫不良の攻め手・賀来のまま生きて死んでいったかもしれない。

 

 そうなると、今生きている自分自身も何かのきっかけでもう一人の自分や眠っている本質・本性というのがにょきっと出てくるかもしれない。「MW」は漫画でありながら非常に文学的です。文学というのが人間の本質を描く、という意味を持つならば。

 いやーほんとこの映画みて「なんだMWってつまんないじゃん。手塚治ってつまんないじゃん」って諦めてほしくないです。

MW -ムウ-

MW -ムウ-

 

  雰囲気というが前篇?長い予告?導入?みたいなものとして見て原作に辿り着いてほしい。