≪内容≫
容疑者【城野美姫】は、魔女か?天使か?国定公園・しぐれ谷で誰もが認める美人OLが惨殺された。全身をめった刺しにされ、その後火をつけられた不可解な殺人事件を巡り、一人の女に疑惑の目が集まる。彼女の名前は城野美姫。同期入社した被害者の三木典子とは対照的に地味で特徴のないOLだ。テレビ局でワイドショーを制作するディレクター・赤星雄治は、彼女の行動に疑問を抱き、その足取りを追いかけるが…。
百聞は一見にしかず。どれだけSNSや他人の言い分が多くてもそれが真実とは限らないし、真実が何なのか、というのは人によって異なるものでもある。じゃあ何を信じればいいのか、 何を核にすればいいのか、っていうところが本作のテーマなのではないかな。
あなたから見た私、私から見たあなた
本作はこの二人がメインで、タイトルになっている"白ゆき姫殺人事件"の白ゆき姫は七緒演じる三木典子。同期入社の井上真央演じる城野美姫が典子を殺したのではないか、という噂がSNS上に広がり、更にはそれを信じたテレビ局の人間が城野美姫犯人説濃厚というニュースを上げたことで更に噂は加速する。
ニュースでは城野美姫の同級生や、典子を擁護する人間のインタビューで溢れていて第三者からすれば城野美姫が犯人であると勘違いしてしまう内容であった。加えて典子は美しくて明るくて誰からも好かれるような女性だったと語られているため、被害者だけが可哀相なお姫様として人々の心に焼付いた。
しかし、実際の三木典子は高飛車で自分が一番でないと気が済まない性格だったことが、真犯人と城野美姫の回想で描かれる。
綾野剛演じるディレクター・赤星雄治は城野美姫の過去に迫るため彼女の故郷に取材に行き彼女の親友に接触。ある事件によって引き離されてしまった二人は長いこと会ってはいなかったが、心の絆だけはそのまま残されていた。
上辺だけの情報でニュースを作る赤星に対して実際に彼女と生きてきた親友が語る言葉には重みやリアルがあった。
親までもがメディアの情報に翻弄され誰も信じられなくなった城野美姫の心を照らしたのは、遠い日に親友の家から送られる蝋燭の灯りだったのだった。
で、これもう一つオチがあると思うんですが、それはこの殺された三木典子視点の回想がないんですね。現実的には生きている人間しか語れないので合っていますが、彼女から見た世界がないのに、三木典子の自業自得だ!とか彼女の性格が悪いからだ!というのもまた踊らされてるんだぜ?というのが、このお話の一番怖いところかな?と思います。
城野美姫視点から言えば、彼女は美しかったが人のものを奪う人間であった。だが、典子の視点から言えば、城野美姫は自分が欲しいものをなぜか先取りしてもっている人間だったのかもしれない。
"奪う"ことができるのは、"持っている人間"からだけですよね。持っていない人間から奪えるものなんて何もないんだから。だから三木典子はそういう意味で自分以外の人間が持っているものに気付くことができた。
これがうまく作用すれば「あなたってこういうところ素敵だよね」「あなたのそういうところを尊敬しています」という風に相手さえ気付いていなかった美点を知らせる福音の美女になれていたかもしれない。まあそれは彼女以外の人の願望に過ぎないのだけど。
で、実際の三木典子は殺されてしまったからもう彼女の真意だとか目的だとかそういった部分は永遠に分からないわけです。当事者だろうが親だろうが。
世の中にはいろんな事件やいざこざや上手くいかないことがあるけれど、それはやっぱり同じ土の上にいても見えてる世界が違うからなんだろうな、と思います。
確かに美人で典子のようなタイプはいると思う。出会ったことがあるし、その巧妙さには驚愕したけれど、よくよく考えてみると典子的美女がそうやってなんでもかんでも手中に収めようとするのは、私たちが美人=人間的に素晴らしい・完璧・なんでも持っている、と知らず知らずに美人が持っていないことを認めない、持っていなけれな「美人なのにね」と蔑むような感情をどこかに持っているからなのではないか、と思うようになった。人から見たらしょうもないものまで手にしたがるのは、持っていないことを許さない目があったからなのかな、と思う。
結論、理解はつねに誤解の総体に過ぎないという村上春樹氏の言葉を借りて劇終。