深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

ルポ貧困女子②/飯島 裕子~美人で、仕事が出来て、子供もいるという状況が努力すれば手に入るなんて思ってないよね?~

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≪内容≫

就職氷河期以降の若年層が抱える困難、いまだに根強い日本の男女差別。その両方を抱えながら、働くことも、結婚して子どもを産み育てることも期待されているのが、いまのアラフォー/非正規/シングルの女性たち。「一億総活躍社会」の掛け声の陰で、困難を抱えてひっそりと生き抜こうともがく女性たちの等身大の姿に迫る。

 

はてブかなんかで見たのがこの話題。

matome.naver.jp

 女性よりこういうおじさんの方が詰んでる、という内容です。

anond.hatelabo.jp

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 女性は本書の様に取り上げられて「救うべき貧者」になるけど、弱いおっさん(男)は救われるのではなく”自らすがる”という道に行くのだろうか・・・?と思った匿名ダイアリーでした。

 本書がなぜ"女子"としているのか、それは男性よりも目立たなかったというのもあるけれど、それ以上に世間の言う「負け犬」にもなれない女性がいる、世間に知られていない存在を照らす、という観点からでした。世の中ってほんとうにたくさんの人がいるんだな、と当たり前のことを今一度思った。

 

アラサー・未婚・子ナシ=負け犬?

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さきほど「負け犬」の定義を「三十代以上・未婚・子ナシ」と書いたが、厳密にはその前に次の言葉が入っている。「美人でも、仕事ができても」という一文だ。つまり『負け犬の遠吠え』にでてくる「負け犬」は、キャリアと経済力があることが大前提になっているのだ。

 

  これを考えると世の中というのはものすっごいハードル高い。美人で仕事ができてもその三つに当てはまれば「負け犬」とかいう不名誉な称号が自動的に付与されるなんて社会厳しすぎじゃね?と思う。

 この本が出たのが2006年だから13年後の今はあまり「負け犬」うんぬん聞かないけれど、確かに「三十代以上・未婚・子ナシ」が揃うとイイネ!とはならない。まあせいぜい「あなたの人生だし好きにしたら?」くらいの印象ではなかろうか。

 

 さらに子供が生まれたり結婚したときの「寿退社」が死語になったのはきっと最近じゃないし、そのことによる弊害もあった。

 

現在のサクセスストーリーに登場するのは、キャリアと子育てを両立させている女性である。飲食店をチェーン展開している女性経営者や、中央省庁の高級官僚、・・・外国人の男性部下を叱咤激励する女性管理職が、「週末の最大の楽しみは、子供と過ごすこと」だと語る。

 

 本書によると育児休暇所得が当たり前になったのは2001年以降、ちょうど超就職氷河期にあたる2000年~2001年とかぶる。

 確かに社会から見れば子育てで引退するより、両立した方が国が繁栄すると想像するかもしれない。しかし実際はその影で席が空かずに放浪を余儀なくされた世代が生まれたのではないか。

 正社員の席が空かないことにより非正規に行った女性が妊娠した場合おそらく育児休暇は適応されない。すると非正規の女性は退職を余儀なくされ、結婚している場合一家の収入は減る。

 更に大量の人間が少ない席を奪い合わなければならない弱肉強食世界では人は人にやさしくなれる余裕はきっとない。だって極論そしたら自分が死んじゃうかもしれない。そうなると、金がある人は金がある人を選ぶのではなかろうか。金がある人間とない人間だからこそ成り立つ専業主婦はどうやって生きていけばいのだろう?

 

もしかしてこの時代には美人で、かつ仕事が出来て、子供もいるという状況が努力して手に入ると思われていたんじゃないでしょうか。

 これは現代では形を変えて美人は整形という努力仕事は企業に入れないなら(もしくはやっていけないなら)youtubeとかブログとか自分の強みを生かす努力子供は不妊治療?という努力に置き換わっている気がする。

 だけど、これって本人がしたい努力、手に入れたくてしてる努力なら全然問題はないけれど、それを社会が求めるのはおかしくない?あまりに求めているものが完璧すぎて、せめてもの最低ラインにさえ辿り着けなかった女性(KKOと対比するとブスで仕事が出来なくて子供もいないおばさん、という名称になるのか?)は存在さえ知られていないのではないか?こんな努力を万人ができるはずない、だけどできる人間は声がでかいからできない人間の声をかき消してどんどん進んで行く。

 こんな社会でいいんか!というのが本書の叫びでもあると思います。

 

 男性と女性の一番の違いは出産だと思います。だけど出産って努力じゃ無理。生まれつき子供が産めない女性の人もいるし、好きな人がいなくて産めない人もいるし、経済的に余裕がなくて産めないこともあるし、頑張ってる内に時期を過ぎちゃったとかさ、とにかく努力じゃ無理なことを努力しろと言われても無理なわけです。

 

 でもできる側の人が「不妊治療とか卵子凍結とかあるじゃん」とか「金持ちと結婚すればいいじゃん」とか解決策を言ってくるんだけど、問題はそこじゃなくてそれは解決すべきことなのか?って話だと思うのです。

 「三十代以上・未婚・子ナシ」って年齢と結婚と出産じゃないですか。なんでそこで判断されなくてはならないのかっていうのが問題なのだと思うのです。それを問題視する風潮があるから「三十代以上・未婚・子ナシ」=「負け犬」が人々の中で腑に落ちて広まっていったんでしょう。

 

でもその三つって努力で何とかならないでしょ?努力で年齢止めれるんかいな努力して人を好きになれるんか努力して子供産めるんかって無理でしょ。

 その不可能を可能にできない人間=社会のお荷物としていないものをみなす、っていうのが貧困の原因なんじゃないかなと思うのです。だってその三つ持ってたら負けの烙印のみならず畜生まで落とされるんだから。(誰にだろうね)

 

 この世代の人たちの苦しみが、今の整形ブームだったり不妊治療だったり婚活パーティーだったりに繋がってるのかなと思うと本当に今の若者が自分で手に入れたものってないよね。全部先人が切り開いてきたものや、その傷から生まれたものであって、若者はそれを活用しながらまた新たな何かを生み出していくんだと思う。

 

 世代が違っても歴史が繋がってるように人は繋がっていると私は思っているので、受け取って渡す、というのが自然な流れなのかな、と思います。今自分が働けているのもブログをかけるのも自分のやる気や能力は1割で9割は先人の人たちが造り上げたものに乗っかってるだけ

 自分が社会に特別不満がないと思うなら、それは社会が優しいのではなく自分がたまたまその時代に合うものを持って生まれただけ。でもその背景には時代に苦しみ社会に殺されそうになりながらも生きてきた人たち、本書に語ってくれた人たち、それをまとめて発表してくれた著者がいることを忘れるべからず。

努力は出来る人にとっても楽ではないから結果が出ない人に厳しくしてしまうのも正直すごく分かる。だから排除するでも除外するでもなく「こういう人もいるんだな、色んな人がいるんだな」ってただ受け入れることが第一歩だと思うことにしています。分かり合うことや助け合うことはすっごく難しい。でも分かんなくてもただ受け入れる、否定しないっていうのはそこまで難しくないことのように思います。知って、受け入れる。それが第一歩だと思うのです。