≪内容≫
1970年ロンドン。ライブ・ハウスに通う若者フレディ・マーキュリーは、ギタリストのブライアン・メイとドラマーのロジャー・テイラーのバンドのボーカルが脱退したと知り自らを売り込む。二人はフレディの歌声に心を奪われ共にバンド活動をし、1年後ベーシストのジョン・ディーコンが加入。バンド名は<クイーン>に決まり、4人は次々とヒット曲を生み出した…!熱狂!感涙!喝采!伝説のバンド<クイーン>の感動の物語。
初めに見たのは飛行機の中だったのですが、プライムに出たので再見。昔クイーンの何かを聞いてアルバムを借りたけど全然惹かれなかったんですよね。だからたぶん私が感動したのは歌声や曲調じゃなくて歌詞なんだと思う。本当にね、歌詞が・・・歌詞が響いてしょうがない。
生まれてきた意味と存在理由を求めて
ママ
悲しませる気はなかった
明日の今頃俺が戻らなくても
何もなかったように
生きていってほしい
ママ俺は死にたくない
生まれてこなきゃよかったと思ったりする
タイトルにもなった「ボヘミアン・ラプソディ」の和訳ですが、私クイーンって明るいバンドだと思ってたんですよ。アメリカのガンガン行こうぜ!っていうイメージで。こういう詩はどちらかというとUKロックだよな~と思ったらイギリスのバンドでびっくらこきました。
この映画はボーカルであるフレディの人生を描いています。彼の家族関係、バンドのボーカルになるまで、なった後の繁栄、女性との恋、男性との恋、ソロ活動、裏切り、HIV感染、クイーンとの決裂から復活まで、本当に濃い人生を送ったんだな、という内容です。
でも正直なところ、ラスト30分くらいのクイーンの復活とライブ映像だけでイケたんじゃないかと思うくらいライブが濃かった。本当のミュージシャンは自分の人生を言葉ではなく音楽でライブで十分語ることができるのだと思いました。
引用した部分、「ママ 俺は死にたくない 生まれてこなきゃよかったと思ったりする」っていうところは本当にそうだよな~と思って聞いてました。だって生まれてこなかったら死にたくないなんて思わなくて済んだもんね。
こういう真っ直ぐな歌詞がストレートに観客の胸を貫いていく。洋楽は歌詞が分からなくてもなんとなくいい曲だな~と雰囲気で聞いちゃうことが多いのですが、クイーンは歌詞先行の曲だな、とおもいました。
キノコ雲の影の下で
俺たちは大人になり
声は届かないと知ってる
俺たちは叫びたいだけ一体何のために闘っているのか
フレディはお金持ちになっても幸せじゃなかったんだな、そのお金で人々を集めてパーティーを催してたくさんの笑顔を見ても幸せではなったけれど、与えることがしたかったのかな、と思って見てました。
フレディは恋人であるメアリーと別れてからもメアリーに友愛を感じていました。たぶん、色んな人を愛せる人だったんだろうし、愛したいと思う人だったんだろうな。何かを与えてその代価として自分を受け入れてもらおうとしていたのかもしれないけれど・・・貰えるもんは貰っとこうという人間もいる。貰えなくなったら用済みで捨てられてしまうことも。
エイズに侵された悲劇の
主人公でいるつもりはない
俺が何者かは俺が決める
俺が生まれた理由
それは
パフォーマーだ
皆に望むものを与える
誰にでもすぐにやってくる死。その短い人生の中で自分に何ができるだろうか。その答えをフレディは見つけ、その答えに向かって突き進んだ。自分の音楽に耳を傾けてくれる人たちに自分の苦しみや悲しみを伝え、背中を押し続けたのだ。
本当に圧倒されてしまったときって言葉にならないんですよね
この映画に限らず、本当に感動したとき、映画や芸術や人との出会いでも、口に出すための言葉が見つからないときっていうのは、たぶん自分の中にはないもののときだと思う。だからこそ自分の中に閉じ込めて大切に磨き続けなければ消えてしまうと直感で思うから言葉にするまで時間がかかるし、言葉にできる頃には一部になっているのだと思う。
私には何ができるんだろうな。例えその答えが見つかる保証がなくてもクイーンの曲を聞いたら探してしまうんだろうな。
すごいよなと思う。ここまで人に与えることに人生を捧げた人間はいないんじゃないかと思うほど。その献身的なパフォーマンスと飾らない歌詞が時代さえも超えて今を生きる人の背中を押し続ける。天国から。