お題は「残暑を乗り切る」ですね。
これはもう無理しないに尽きます。
熱中症対策とか季節の変わり目とか体調崩れやすいですが、根本的に体調が崩れるって事は無理してるってことなんですよね。
原因は季節でもなくて自分でもない。
ただ、体調が崩れたんです。
体調管理も仕事のうち!なんて言うけれど、人それぞれ難易度が違うんだから崩す人もいれば崩さない人もいて、崩す人が意識が低い訳でも崩さない人が頑張っていないわけでもない。
なるときにはなるんです。
私の今回の入院は39度を超える高熱とみぞおちと背中上部の激痛だったんですが、炎症反応もウイルス反応もなく、ただ肝臓の数値だけが爆上がりしている状態でした。薬剤性の急性肝炎と診断されましたが、高熱の原因は謎だそうです。ちなみに今も37度付近をうろちょろしております。
みぞおちの痛みも胃カメラで分かったのは軽い逆流性食道炎だけで背中の痛みも謎です。先生達も「?」状態でした。
データには現れないけど痛みは本物で、二日間の絶食と点滴でアレルギー発覚など個人的には、もう入院不可避みたいなもので体調管理ってどうやってみんなしてるん?とか思いました。
おかんのお手て。両親にはたくさん心配かけました。
突如として今まで頑張ってきたことや生活のリズムをシャットダウンさせられてしまったような感覚で、なんだかぼ~っとしちゃって気力が抜けてしまいました。
でもそこで「あれ?なんか今まですごい頑張ってたのかもしれない。どうして今、39度を超えるとかいう人生初かもしれないピンチで休んでいるのに罪悪感を感じるんだろう?どうして頑張っていない自分に違和感を感じるんだろう?」と思ったのです。
その気付きを掘り下げるとうつになりそうだな、と正直思いました。いや、もううつなのかもしれない、とも思いながら病室から花火を見ていました。ちょうど夏まつり真っ最中の入院でした。病室から見えるのはビルの隙間からちょこっと覗く程度。不完全な花火です。本当に一瞬。小さな点がパッと映って消える。
だけど、それは花火でした。綺麗な夏の花火でした。
どうして不完全な花火は今までと同じように美しいのに、頑張れない自分は許せないんだろう。どうしてそんなに自分に対して設定値が高いんだろう。どうして自分はできるだなんて思い込んでいたんだろう?
それはきっと自分が許せないのではなく、人に親切にしてもらう勇気がなかったからなのだと私は気付きました。
人の優しさや思いやり、親切心を受け取るのが怖いから渡す側にいたかったんです。
この世界はさ、ほんとは幸せだらけなんだよ。みんながよくしてくれるんだよ。宅配便のオヤジは重たい荷物をさ、あたしのここって言うところまで運んでくれるよ。雨の日に、知らない人がカサをくれたこともあったよ。
でもあんまり簡単に幸せが手に入ったら、あたし壊れるから。
だからせめて、お金払って買うのが楽。
私はこの真白の告白と同じ気持ちです。壊れるというのは最終的な結果で、なんで壊れるかってそんな優しさが怖いから。だけど人は優しくして優しくされて生きていく。だから生きていくためにその優しさをお金に変えるんです。
私もそうだし、きっと多くの人が困っている人や苦しんでいる人やそれを苦に自殺をしてしまった人に対して「相談してくれれば・・・」とか「誰か頼れる人が・・・」と思うことでしょう。
だけど、頼るとか相談するとか、それって今まで自分が思っていたことよりも簡単なことじゃないんだなってことに気付いたんです。
入院したり、体調を崩したりすることは、人の手を借りなければならないことを意味していて・・・つまり・・・強引だけど自分が無力になったような気がしちゃうのです。
で、その無力さが怖いのです。無力な自分は人に迷惑をかけるだけの存在だから。つまり役に立たない人間・・・だって自分自身が生きているだけで価値があるなんて思えないから。他人にはそんなことないよ!なんて熱弁するくせにね?
やさしい振りして自分はなんとしてでも優位な立場にいたがってたんだな、ってことに気付くいいきっかけとなった入院でした。
私は少しずつやりたいことをやり始めました。
ほんと人が聞いたら「え?w」って思っちゃうようなことなんですけど、例えばケーキ屋さんのケーキを親におねだりするとか、お金を気にせずに欲しい!と思ったら買うとか(て言ってもちょっとかわいい文房具とか)、今までなんでもかんでも理由をつけて回避していたことをやっちゃえ!と思って実行中です。
貯金が減るのが怖くて貯め続けてたけど死んだら意味ねえ!と思っておもっきし散財してます。
もし体調が崩れたときは、自分を責めないでゆっくり休んでください。
きっとそれが正しい道なのです。
一休みのコマに辿り着いただけだから。
ぼ~っとして雨の匂いとか草の匂いとか、人の話し声とか、体温とか、花とか見たりしてみてください。今までの世界とは離れてしまう感覚があるかもしれませんが、誰かの一日を感じられるいいチャンスです。
体調を崩すときっていうのは、自分の心の声や人にやさしくできる力に気付くときなのではないかな、と思います。目には見えず、人に説明できないもの。そんな不思議なものと出会った令和元年の夏でした。