≪内容≫
雨の日だけに発生する猟奇殺人事件。死体を見せることにこだわる犯人・カエル男は、自らをアーティストと呼び、犯行現場には必ず謎のメモを残す。連続する事件の関連性に気付いた刑事・沢村と部下の西野が捜査を進めると、驚愕の次のターゲットが浮かび上がる。
カエル男の罠にはまり、逆に追い詰められていく沢村。謎の“私刑"執行アーティスト・カエル男は一体誰なのか?その本当の目的とは?そして、沢村が絶望の密室(ミュージアム)で見たものとは…! ?あなたは最悪のラストを期待する。
これ韓国の映画と言われたら疑わなかった。
ついに日本のホラーではないサスペンス映画でここまでグロイの来たかぁ・・・と思いましたね。これはちょっとトラウマ危険注意報です。
ちなみにこの記事ネタバレします!要注意!
悪意は感染し続ける
主人公の刑事・沢村は妻と息子と三人で暮らしていたが、事件を追うことに熱中し家族を蔑ろにしていた。その結果妻は息子と出て行き別居生活が続いていた。
そんなある日、奇妙な死体と現場に残されていた「〇〇の刑」と書かれたメモを発見する。連続して行われる猟奇的な犯行に連続性を見つけた沢村は次の犠牲者候補が自分の妻であることに気付く。必死で犯人と妻の行方を追うが、沢村が見つけたときには妻子はすでにミュージアムの中にいた。
家族の心を殺し続けた沢村への刑は執行されてしまうのか?というのが本作のメインです。
以下、ネタバレです!
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犯人は未解決の資産家夫婦バラバラ殺人事件の生き残りの息子でした。彼は両目に光線過敏症というアレルギーを持っており、その治療をしていたのが同じく生き残った姉でした。
姉にはアレルギーはなく医者の養子となり医師に成長するのですが、彼女が「そのアレルギーは心因性よ」と告げるのです。あの悲惨な事件のトラウマで発症したのだと。
では、なぜ姉は発症しなかったのだろうか?
そしてなぜ犯人は捕まっていなかったのだろうか?こう考えると、犯人は姉の幹絵だったのでは?と思いませんか?ここら辺の設定がいまいち「???」と思いつつ、映像のショックで鑑賞中に浮かんだ些細な疑問は吹っ飛んでいたんですが、よくよく考えると色々分からんな・・・と思ってググってたら原作の内容で納得できました。
ではなぜ原作と映画のラストが違うかというと、原作は分かりませんが映画版では幼少期に植え付けられたトラウマから逃れるのは難しいという点と、悪意は感染するという二つがテーマだったからなのではないかな?と思います。
生き残った沢村一家だったが、犯人の悪意を浴び光線過敏症を継承したのは息子でした・・・というのがラストになってます。
この映画、かなりショッキングなシーンが出てくるので心臓が強くない方と感受性の強い方、不安の強い方は見ない方がいいと本気で思います。
最後の監督インタビューでも「こういったネタはハードだし一歩間違うと俳優も壊れかねない」と言ってましたが、ほんと小栗旬とかメンタル大丈夫なのかな・・・と思ったし子役とかカエル恐怖症にならないのかな・・・大丈夫かな・・・と思うくらいには強烈でした。
こういうサイコパスな映画を見たとき、自分を納得させたくて犯人の過去とかどこか共感できる部分を探そうとしてしまうのは、映画の構成からして多くの人が思うところだと思うんですが、たぶんこのカエル男がミュージアムを作ろうと思ったきっかけとかそんなのはないんだろうな、と思います。
こういうのが一番怖いんだよな。