≪内容≫
ロバート・デ・ニーロ、ショーン・ペン、デミ・ムーアの共演で55年製作の同名作をリメイクした痛快コメディ。凶悪犯・ボブが死刑執行直前に看守たちを射殺。偶然近くにいたネッドとジムも、共に脱走してしまう。“ハッピー・ザ・ベスト!”。
「天使なんかじゃない」を思い出す。
だけどこっちは本当の天の使い神父さまです。 誰だって天使じゃないけど、天使みたいになることはできる。
人は環境の生き物
刑務所にて服役中だったネッドとジムは死刑囚・ボビーの処刑現場に立ち会い、そこで反乱を起こしたボビーに先導された脱獄する。足を鎖でつながれているネッドとジムは常に二人で行動しなければならなかった。
川から転落し行き着いた村で、牧師に間違われたネッドとジムは教徒ではないにも関わらず神父としての生活を送ることとなる。
村人たちから懺悔を聞いてほしいと頼まれたり、娘を治してくれるかと尋ねられたり、神父ではないのに神父になりすましたばっかりに人から奪う生活から人に与える生活へと一変。
最初はただ逃亡するための一時的な非難対策としか思っていなかったが、求められていることに答えていく内に二人の未来は別のものへと変わっていく。
特にブラウン神父となったジムは説教者に選ばれ無理矢理作り話を語っていく内にどんどんその気になっていく。そして、本当に神父になりたいと願うようになるのだ。
しかし二人は罪人であった。更には最初から神父として認知されてしまったがために今更罪人などと言えるはずもない。懺悔の機会がなかったのだ。
だがその機会は村人の聾唖の娘から与えられ、二人は脱獄犯から新たな人生を歩み出す。
この映画を見ると、人の本質というか人間性?みたいなものがどう培われるかってその人が周りから求められることや立ち位置が8割型占めている気がしました。ジムは無茶ブリをこなしていく内に立派な演説ができるほど内的成長を遂げたし、ネッドは人から好意を向けられることで足を止めることができた。
天使のような人がいたら、きっとそれはその人の周りの人間が作り上げたのだ。