≪内容≫
フランスの新鋭、パスカル・ロジェによるホラーをリメイク。幼い頃に何者かによって監禁され、酷い拷問と虐待を受けた少女・リュシー。時は流れ、リュシーは自らを傷付けた虐待者たちを襲撃し復讐を果たすが、それは地獄の始まりに過ぎなかった。
これ観れて嬉しかったんだけど、ハリウッドメイクverより元々の方がいいみたいで原作の方見たいんだけど見つからない・・・。まぁこれはこれでゾっとするんですけどね。哲学で人が死んだら意味なくね?と思うのだけど、いつだって生と死が隣り合わせなTHEフランス。
死ぬ瞬間、
何が見えるか
舞台は70年代のフランス。白いワンピースを着た傷だらけの少女が助けを求めて裸足で歩いていた。養護施設に保護されたその少女・リュシーに、同じく養護施設にいたアンナは何度も声をかける。
悪夢に脅え夜中叫び続けるリュシーをアンナは抱きしめ、一緒にクローゼットの中に隠れた。二人の少女は無事成人となるが、リュシーは幼い自分を監禁し暴行し続けた大人たちを忘れておらず、猟銃を手に復讐に向かう。博士と呼ばれていた男とその家族たちを惨殺しアンナを呼んだが、リュシーの話をどこまで信じていいのか分からないアンナは警察を呼んでしまう。
アンナはリュシーとともに逃げ出そうとするが、地下への隠し階段を見つけそこに閉じ込められた少女を発見する。三人で逃げだそうと家を後にするが、やってきた男たちによって三人は再び家の中に閉じ込められる。
リュシーを監禁していた団体は、死への恐怖を越えることができる人間を拷問時に目を開けていられるか否かで判断しており、恐怖を越える人間は人を超越した存在であり、その人を超えた人が息絶える瞬間に目にしたものを見たい、という欲望のため監禁・拷問・殺人を行っていた。
正直マジでアンナと同じく理解出来ないんだけど、「狂ってる」的なこと言うとこういう団体って「あなたには理解できないのよ」と返すよね。まるで、私たちの高貴な思想は下等生物のあなたに分からなくても当然なの、気にしなくて大丈夫よ♪とでも言うように。ここがさらに腹立つポイントである。
さて、本作の見どころはなんといってもアンナである。
リュシーの復讐劇のときはリュシーがぶち殺した死体を見て「いゃああああ!もうやめょぅょ、かぇろぉょ・・・涙」と怖気づき、リュシーから「私を信じていないの!?こいつらが私にしたこと言ったじゃない!!」とキレられるアンナ。
まあ最初はリュシーの言葉でしか想像できなかったので、それがどこまで真実かは分からなかったんでしょうね。しかし、後半アンナは鬼の化身となります。
リュシーのためにリュシー以上にぶち殺しまくります。生き埋めされるときもリュシーを救うため何とか抜け出す道を探し当てたアンナに迷いはなかった。
ではここから少しだけ考察です。
①モンスターとはなんだったのか?
リュシーにだけ見える「モンスター」。アンナにも他の誰にも見れないそれは一体なんだったのか?リュシーが元凶となった一家を殺しても現れたそれはまぎれもなく今までの実験により死んでしまった霊だと思います。
では、なぜリュシーを襲うのか?
今ここでひと思いに死ぬか、拷問の果てで死ぬかの二択しかないなら、今ここで死んだ方がいいと死んだ霊が思っているからだと思います。
リュシーは脱走して養護施設にやってきましたが、そのあと団体がリュシーを探しだしまた実験の犠牲者にしようとしているのは自明でした。もしかしたら霊の中にはそうやって逃げだしたけど捕まえられて死んだ者もいたのかもしれません。
②この実験はなぜ生まれたのか?
一応「悪夢」であることは理解していたんだな・・・と思うヒトコマ。
そもそもなんで死後の世界を見たい!と思ったのでしょうか?別に思うのは簡単で自由だけど、こんな団体を作り、挙句何人もの女性を殺害するまで痛めつけるのは単純な好奇心では片づけられず、もはや超越した恐怖心からでは?と思うのであった。
本作の最後、リュシーとアンナが見ていたのは養護施設にいた頃二人で見上げた空と会話だった。つまり幸せな走馬灯、もしくは人生のハイライトであったわけです。
最後のリュシーの言葉を聞いて自死した神父と異様なまでに実験にこだわるこの女性は、そういった幸せな風景、もしくはアンナのようにどこまでも自分の味方になってくれる存在がいなかった=死が怖い、となったのではないかなぁ?と思います。でもそもそもそれがなぜ個人的な光景であることは考えなかったのか?と思う。なぜ、死を超越した存在→殉教者→個人の消失→生者に有能な教えを説くはずと考えたんだろう?神父もいるしキリスト教だから?
おそらくリュシーが見たものが世界を驚かせるような、もしくは世界を救うような光景、人々を導くような言葉でなく個人の過去の記憶だったことから、神父は今までの実験の無意味さと、そのために行ってきた非人道的な所業、未来への絶望を感じ自死したんだと思う。
もともと哲学って奴隷に雑務や家事を任せて暇になった人間が生み出したものなので、肉体労働してたり忙しく生きていたらこんなこと考えている暇もないと思うんですよね。
死んだらどうなるって一周廻ってすごい贅沢だな、と思いました。
最後は冒頭の「一緒ならどこでも」に繋がるところで、ホラーだし胸糞の団体ではあるんですが憎めない作品となっています。孤独に長生きするのと、苦痛を伴いながらもずっとそばにいてくれる人がいる人生。比べることではないけれど、けして不幸だった・・・とは終わらない最期が観た側にとって救いです。