時は1832年。22歳のラファエルのギャンブル癖は自殺する一歩手前まで追い込んでいた。セーヌ川に投身する直前に店主から奇妙な"悲しみの皮"という品を進められる。それは、願った事はなんでも叶える引き換えに人生が短縮していくというものだった。
原作はこちららしい。
バルザックって知らなかった・・・。観たところ映画で見るより小説のほうがいいかもしれない、と思ったのは細かい心理描写が魅力の作品なのでは?と思ったから。ストーリーだけなら最初から結末が分かってしまうので。
確実な願いでなければ命をかける価値はない
主人公・ラファエルは自分の知識を生業とすることができず、最後のお金を賭博で失う。みじめで哀れな人生に絶望し自殺しようと銃を買いにアンティークショップに向かう。
そこは盲目の老人が経営する店で、お金のないラファエルは後日使用人にお金を届けさせると嘯き、銃を手に入れようとするが老人にその魂胆はあっさりとバレる。
老人はラファエルの心境を聞き、一つ忠告をする。
私欲は我々を焼き尽くし
権力は我々を破壊するそして 嘘の裏にはうぬぼれという最悪の罪がある
だが、ラファエルはうぬぼれではないと否定する。
そこで老人は「悲しみの皮」という、願い事を叶えるたびに皮と使用者の寿命が縮むアイテムを紹介する。きちんと「君と同じくらい絶望した人間でも手を出さなかった」と一言添えて。
ラファエルは老人の戯言だと思い、皮を手にする。
そして金と富と女を手にし、さらに自分を拒否する女に復讐するためさらに皮を縮めていく。
どんどん小さくなっていく皮と比例するようにラファエルの体調は悪くなっていった。そして、皮の力で手に入れたお姫様より、貧乏でみじめなときからずっとそばにいてくれた女性を心から愛していると気づいた時にはすでに皮はラファエルと一心同体となっていた。
物書きとして地位と名誉を手に入れることが当初のラファエルの目的だったはずだった。だけど、やすやすと手に入ると言われると彼が口にした願望は酒盛りだのパーティだの女だの金だので、物書きとしての地位や名誉は口にしなかった。
彼は言う。
本当に欲しいものが確実であるようにって。
私の自分ルールとして本当に欲しいものを見失わないために、こだわらない。というのが一つあります。
というのも、なんでもかんでも欲しい、あれもこれも欲しい、人が持っているもの流行ってるものは自分も欲しい、だと本当に欲しいものが分からなくなってしまうんです。私の場合ね。
だけど、この映画が言っていることもまあそういうことなんじゃないかな、と思います。
ラファエルの本当に欲しかったものは、愛する人との生活で、愛し愛される人生だったわけだけど、彼が欲しいものとして口にしたのは富や女であった。悲しみの皮は彼が願った通り、富や女を用意し、彼の寿命も約束通り縮めていった。
これは辻褄のあっていることです。彼が望んだことともいえる。なのになぜ、ラファエルは皮を憎み、捨てようと思ったのか?
悲しみの皮が持つ
驚くべき力は
一人の人間のためのものなのか?
それは彼の本当の願いが叶えられていないから。
そして、老人が言う悲しみの皮の力が一人の人間のためのものなのか?とは、自分の命を削り何か願い事を叶えるという尊い行いが持つ影響力、すなわち巨大な力は富や栄光よりスケールの大きな願い事、例えば世界平和だったり、この皮が売られていたアンティークショップ付近の物乞いの少女たちすべてを普通の家庭環境に置くことだったり、自分の書いた本が読まれるような社会に変えたりだとか、そういう自分が辛くみじめになった原因の元を変えることで、自分以外の誰かも底上げするような使い方を指しているのだと思う。
冒頭の
私欲は我々を焼き尽くし
権力は我々を破壊するそして 嘘の裏にはうぬぼれという最悪の罪がある
通りの人生になったラファエルだけど、果たしてどれだけの人間が「本当の願い」を知っているのか?そういう議題を投げかけているのかもしれません。
本当に欲しいものを見失わないために、こだわらない。っていう生き方をしていても本当の願いが何かってまだ出会えないです。それはたぶん絶望していないから。何かを変えたい、変えなければならないという込み上げる怒りや絶望がまだあふれ出ていないからだと自己分析しています。