《内容》
ひとは人生から逃げ出したくなる、運命の変化に向き合えなくなることがある。
そんな時、みゆきは、週末に高速バスに乗り、仮設住宅で父親と二人で暮らす福島を離れて東京へと向かう。渋谷でデリヘルのアルバイトをするために。
福島と東京を行き来する日々に、みゆきが見たものとは―。
戻る場所もなく、進む未来も見えない者たちが、もがきぶつかり合いながらも、光を探し求める。それは、今この時代を生きる私たちに、共通する想いかもしれない。
人に頑張れっていうのはなんて簡単なんだろう、って思う。言わずにはいられない気持ちになることはあるけれど、もうすでに頑張っている人にとっては残酷な言葉になる。
人を否定するのも簡単。自分と違う思想の人を毛嫌うのも仲間はずれにするのも簡単。だけど、理解することはとってもとっても難しい。
頑張っている人間は
美しい
福島の仮設住宅で父親と二人で暮らすみゆきは、父親には東京で英会話の先生をしていると嘘をついて週末に東京でデリヘルの仕事をしていた。
父親は保証金を使ってパチンコ三昧。休む暇なく働き続け家事もこなすみゆきは、漁師だった父を思いいつも食卓に刺身を用意している。
しかし父は新鮮じゃないと文句を言ったり、近所の子供とキャッチボールをしたりと自由奔放だった。
また震災後疎遠になった元カレから連絡が来るも、デリヘルをしていることがみゆきの心を苦しめていた。
父親は妻を失ったことと向き合えなかった。しかし、やっとの思いで海に亡き妻の服を投げ入れる。「母ちゃん、寒いだろ?ごめんな」と泣き叫びながら。
そして、この船を出してくれたのはパチンコでよくしゃべる兄ちゃんだった。
市役所で働く新田(柄本時生)もまた激務に追われていた。自分もまた震災の被害者であったが、町の人たちの苦しみや問題解決のために奔走する。
頑張っている現地の人に対して今の福島を取材したいと話を聞いてくる人は当たり前だけど客観的だ。事実を知ることが彼らの役目なのだから。
しかし、実際は真実や文字に起こせるような言葉以上に、言葉にできない感情が彼ら彼女たちの中では渦巻いていた。
この物語は、震災に会い日常を立て直せざるを得なくなった人たちが、日々生活していく中で希望にたどり着く話であり、部外者や他人が導いたり救ったりする話ではない。
ただ淡々と仮設住宅での日々や、生活苦からか高額な壺を売る人が現れたり、自殺未遂で騒然となったりという出来事だけが切り取られている。
言うなれば、誰も人の人生に口出ししたりする権利なんかなくって、もしあるとするならその人と同じ墓に入る覚悟のある人だけ、って私は思うのだけど、それは冷たいことじゃなくて人を信じることでもあると私は思っています。
人の人生に対して何かをするってことの危険さは、何かをした暁に自分がその相手の人生の一部に口出ししたり方向指示する権利を持てると勘違いすることです。
人を尊重するということの難しさ、そして相手が自立して起き上がれるまで辛抱強くただ待つことの難しさ、そしてその過程を自分のものさしではからずにあるがまま受け入れる難しさ。だけど、必要としている人の手に気づくことの大切さ、泣いている人の涙をぬぐってあげられる優しさ、自分の経験から間違いだと思うことには声を出す勇気。
人生は一人では生きられず、他人と生きるのは難しい。
だけど、絶対に間違っていないと思うのは頑張っている人間は美しいということ。