出典:花束みたいな恋をした : フォトギャラリー 画像(10) - 映画.com
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特に恋愛映画は別に映画館で観る必要ないのでは?と思う人間なのですが、この映画はなぜか「観たい!」ってなって、、、なんでだかわからないけど、そういう直感って当たるんですよね。
これはDVDになったらもっかい見たいやつ。
生まれ育った環境とかいう地味に変えられないヤツ
主人公・絹ちゃん(有村架純)は、広告代理店の親を持つ特に何不自由なく暮らしてきた女子大生だ。特に夢もなく好きなものを追いかける日々。何のつてかは知らないが、エリートたちの合コン?にも呼ばれたり、ライブの前にプラプラ街を歩いていたら名前も思い出せない男に声をかけられて終電まで焼肉食べて、男の彼女との待ち合わせまでの埋め合わせに付き合わされたり、終電過ぎたら知らない社会人2人と同じような大学生と4人で時間つぶしに居酒屋行ったりするそんな女子だ。
文字にすると、ふわっとしてそうな感じだが、発言はしっかりしてて「こうすべき!」っていう意見を持ってるしっかりした女性に見える。これがいや、これが好き、というのもはっきりしてて、初対面の人にも怖気づかずにすぐに返事ができる頭の回転の速さ。
こういう女子は男子に甘えるのではなく、自分が引っ張っていくようなそんな感じに思えた。
対して麦君(菅田将暉)は、冴えない大学生って感じで、イラストレーターを夢見てたり、ガスタンクに惹かれて3時間超えの映画を作るなど、ちょっと不思議君みたいな感じだった。
大学のマドンナみたいな女性にいいように使われたり、絹ちゃんの髪に最初にドライヤーをかけるシーンは、後ろからじっと絹ちゃんの様子をうかがう目がなんとも青臭い感じがしてイケてる!って感じではない純朴な感じがした。
結論から言うと、二人は別れるのだけど、何が言いたいかって、実は絹ちゃんはフラフラしてて麦君はしっかりしてた、ってことなのでした。
絹ちゃんは一昔前の「かまってちゃん」みたいに、さみしいとか悲しいとか、そんなことは言わない物分かりのいい女子だ。一昔前の「君は僕がいなくても平気だよ」と言ってフラれてしまいそうな感じ。
だけど、今回はそんな王道パターンから逸脱し、自由に生きる。
自分が就活してるときは、辛くて泣いたとき、Tシャツにサンダルで駆け付けた麦くんがいたのに、麦君が受かったと電話した時、絹ちゃんはコリドー街で男と飲んでた。だけど、そこで絹ちゃんは「ほんとによかったぁ。。。」というのだ。
なんかおかしくね?
と思う私がおかしいのか?って思うくらい、自然に。
麦君は、絵の先輩から売れたかったら彼女を売れ、と言われる。絹ちゃんにいい店を紹介するよ、と。さらに自分の絵の単価がどんどん下がっていくことも感じてた。絹ちゃんとの生活を守るため、絵は封印して社畜になっていく中で、いつまでも楽しいことを追いかけ続ける絹ちゃんと、もはや楽しいことさえ楽しめなくなった麦君では、すれ違うほかなかった。
だけど、それでも麦君は絹ちゃんを愛していたのだと私は思った。
恋愛の難しさは、今在る自分の考え方や話し方や価値観以上に、生まれ育った環境という染みついた匂いにあると思う。
絹ちゃんは若く美しく要領もよかった。そして何より広告代理店の両親という圧倒的財力の中で育ってきた。最初は両親からだったが大人の女性になるにつれ、周りの男がごちそうしたり、悩みがあれば相談に乗ったり、解決策を見出したり、とにかく自分が持ってるものと、多少の努力でやってこれた。
だからこそ、麦君の必死さは絹ちゃんには伝わらなかったんだと思う。
だけど、これはどっちが悪いとかじゃなくて、「当たり前」が違うのだからもうどうしようもないのだ。悪気があるとかないとかそういうものじゃなく、生活の基準が人の「あり得る」「あり得ない」を決めてしまうから。
絹ちゃんと麦君は、趣味も好きなものも考え方も似てた。だけど、それらが生まれるための土台は全く別物だったのだ。
そういうちょっとした違和感が、絹ちゃんがコリドー街から麦君の合格をお祝いしたり、友達に夜の悩みを話したりすることから少しずつ出てたのに、たぶん見てる側も二人と同じように、そういう些細な違和感を「何かの間違い」と見ないふりをしていく。
きっと、私たちは見ないふりすることで、大人になったからだ。
そうやって臭い物に蓋をして現状維持することで、なんとか今日も息してる。そんな感じ。
とにかくリアルな恋愛って感じだったので、気になる人はぜひ見てみてください。なんかほんとにサラっと浮気というか、他の男の人と会ったりするので、それが自然すぎて個人的に自分が麦君だったらキレてると思いました。