《内容》
猫背でひょろひょろのマモちゃんに恋に落ちたその時から、テルコの世界はマモちゃん一色に染まり始める。会社の電話はとらないのに、マモちゃんからの着信には秒速で対応、呼び出されると残業もせずにさっさと退社。友達の助言も聞き流し、どこにいようと電話一本で駆け付け(あくまでさりげなく)、平日デートに誘われれば余裕で会社をぶっちぎり…。角田光代原作、アラサー女子の《全力失恋》ラブストーリーを完全映画化!
えっ角田光代原作なの!?とびっくりしたのは、角田光代と言ったら「八日目の蝉」だったから、こういうちょとコメディというか笑える感じなのは想像していなかったから。
ほんと感想は「愛がなんだ」って感じ。
自分の世界を明け渡しちゃだめだよ
山田さんのそういうところ苦手なんだよね。
5周ぐらい先回りして気を遣ってくるところ。
物語はマモちゃんに恋したテルコの話。
マモちゃんからの呼び出しには100%応じる。だって好きだから。マモちゃん以外のことに時間裂きたくないから仕事も適当(なぜ?)、だけどマモちゃんの呼び出しが来てもいいように会社には最後まで居残る。
マモちゃんの仕事が暇なら、自分も会社ずる休みしちゃう。風呂に入って髪の毛泡だらけでもすぐ電話に出る。電話が鳴らなくてカップ麺すすってても夜食に誘われたら「お腹空いたー」ってすぐ対応。
好きで好きで好きだから、なんでもしてあげたいし、自分には気を使わないで何でも言ってほしい。その思いはマモちゃんに苦手と一刀両断されるのだが。
一方テルコとマモちゃんの逆転関係として、葉子とナカハラがいた。テルコと葉子は友達で、ナカハラは葉子の都合よく動く男の子としてテルコに見えていた。
テルコは自分とナカハラは好きだから言いなりになっちゃうよね、でもそれでもいいじゃん、みたいに思ってるんだけど、あるときナカハラは好きだから辛いのだと、もう葉子とは会わないと告げる。
一方、マモちゃんはテルコとは180度真逆の女性・すみれさんにガチ恋する。こんなに尽くしても尽くした相手が求めるのは尽くしたい相手。
そしてはたまたすみれさんは言いなりのマモちゃんのことを好きになれない。
なんやねんこの話。
この話の面白いところは、所々で子供時代のテルコが出てきて、保母さんになりたい!とか、マモちゃんにそこまでしてくっついてたいの?とか、自分に問いかけてくるんですよ。
子供の時は自分のことに集中できて、自分の世界は自分の思いや思想で成り立ってたのに、大人になったらいつのまにか誰かに占拠されてて、その占拠した人間に仕えてしまってる…そんな景色が見えて、大人になると弱くなっちゃうのかなって思ったりしました。
で、タイトル回収すると、尽くす人間って表面上優しく見えても本質は自分から目を反らす道具に他人使ってると思うんですよ。
自分のことを放り投げて他人に尽くせば、自分のこと考える暇ないから向き合わなくていいもんね。これって恋愛だけじゃなく仕事もそう。
お前はいつも忙しくしていなければならない。自分以外のことについて、常に考え続けていなければならない。
自分に向き合えないから。
向き合うわけにはいかないから。僕は忙しさの中に逃げていく。まるで刑事から逃げる犯人のように。
心のどこかで、僕は事件を望んでしまっている。
で、尽くされてる側の人間ってそういうのなんとなくわかるんですよ。好きとかじゃなくて自己満足の道具にされてるなってことが。
だから、葉子はナカハラが去ってから(ナカハラが自立してから)自分から会いに行ったんだと思います。そこでやっと対等になったから。
人は自分と他人に優先順位つけるし優劣も判断するし、特にマモちゃんみたいに「俺ってだめなやつじゃん?」とかいう自分を認められていない人間は、そんな自分を大事にするテルコはまったく信じられなくて、自己イメージに沿うような態度をとるすみれさんといる方が「もっといい人間になろう!」とモチベーションが上がるのだ。
あくまで城主は自分で、あとは客人である。