《内容》
石川家は父の一登、母の貴代美、息子の規士、娘の雅の4人、誰が見ても幸せそうな仲睦まじい家族だ。一家に翳りがさし始めたのは、規士がケガでサッカーをやめたことがきっかけだった。ある日出かけたまま、翌日になっても規士が帰ってこなかった。するとニュースで、若い男の遺体が発見されたと報道される。被害者は規士の友人で、高校生同士の殺人事件かという衝撃的な展開に、ネットでは犯人は誰か憶測と中傷が駆け巡る…。
見たくない。こんな現実は見たくない。
根拠のない噂で他人を攻撃し、真実が発表されたら手のひら返しで忘れるんでしょ?人は傷つけられたことは忘れないけど、傷つけたことは簡単に忘れる。むしろ傷つけたことにさえ気づかない。
家族とはいえ人生はそれぞれ
この映画、父役と母役の堤真一と石田ゆり子がほんとうまいというか、切なくて。。特に石田ゆり子がリアルというか、息子が加害者だろうがなんだろうが、ご飯を作らなきゃ、持ってってあげなきゃ、っていうシーンがほんと、母ちゃんって感じで涙出てきました。
どこにでもある普通の家族・・・というにはおしゃれすぎる家に住んでる平和な四人家族。仲の良い両親に、明るい妹。その中に一人影を感じさせる長男がいた。
ケガでサッカーをやめてから口数が減った長男とは思春期というのもあり、あまりコミュニケーションはとれていなかったが別にどこの家にもあるレベルだった。
だが、息子が帰ってこなかった翌日。息子の同級生が死体となって発見されたというニュースがテレビで流れる。息子の身にも何か危険が...と不安に思う両親に元に訪れたのは、息子を加害者として捜査する警察と、一般市民だった。
両親とも、無条件に息子が加害者ではないとは言えなかった。なぜなら、近頃の息子は暗かったし自分たちが話しかけても相談することもなかった。ただ、そこに”何か”があることだけは感じていたから、その”何か”がこの事件と関わっているのではないか、と思ってしまうのだ。
日に日に息子が加害者として扱われ、息子以外の関係者である同級生は見つかったのに、息子だけがずっと帰ってこない。
不安と悲しみに泣き崩れる母と、ついに息子の部屋へと足を踏み入れる父。そこにあったのは、自分たちが知っている息子の姿だった。強く優しい息子だった。
心の優しいお子さんほど
ご両親に心配をかけまいとする
しっかりとしたお子さんほど
問題を自分で解決しようとします
息子が死体となり帰ってきたあと、お葬式には息子を加害者扱いした被害者の父親や会社の人がやってきて「許してくれ」と謝ります。
面白いと言ったら不謹慎なのですが、父は息子が死体で発見される前から「息子が犯人ではない」と被害者の葬式に乗り込んだり、報道陣の前で言ったりします。これは、父なりの息子の名誉を守るため、という愛情です。
一方で、母親は息子が加害者だろうが被害者だろうがどうでもいい。とにかく帰ってきてほしい。とにかく新しい着替えとお弁当を用意しなくちゃ、と思い立ちます。
どちらも愛情なのですが、どちらかに偏ると「息子が加害者であると疑ってるのか?」「息子が加害者なら息子を守らないのか?」という意見が出てくると思うんですね。
これは男女の考えの違いなのか全く分からないのですが、なんとなくこの真逆な思考回路があるから子供が生まれるのかな、って思いました。どちらも別の方向から子供を守ろうとしてるから。
正直者がバカを見る、じゃないけど、やさしい人ほど死んでしまうんだよ。生きてる人は多かれ少なかれやさしさとずる賢さを持ち合わせてる。じゃなきゃ生きてこれない。