《内容》
子持ちの若い女に夫を奪われた音楽教師。やがて新しい伴侶と恵まれた暮らしを送るようになった彼女の前に、忘れたはずの過去を窺わせる小説が現われる。ひとりの少女が、遠い日の自分を見つめていた―「小説のように」。死の床にある青年をめぐる、妻、継母、マッサージ師の三人の女たちのせめぎあいと、青年のさいごの思いを描く「女たち」。ロシア史上初の女性数学者として、19世紀ヨーロッパを生き抜いた実在の人物をモデルに、苦難のなかでも潰えることのなかったその才能とたおやかな人物像を綴る「あまりに幸せ」など、長篇を凌ぐ読後感をもたらす珠玉の10篇。国際ブッカー賞受賞後第一作。「短篇の女王」70代の集大成。最新作品集。
twitterで流れてきて知ったのですが、元tweetを失ってしまった。。すごく読みたくなる文章だったのに・・・!
ささやかな日常、はたまた誰にも言えない秘密、小説にするには特別でも何でもないと思えることも「小説のように」なる、という証明。
自分の子供を殺した夫と面会を続ける妻、子持ちの若い女に夫も家も奪われた妻、いとこと恋仲になり自分をハメた友達を密告する女学生、深い穴に落ちてから何かに目覚めた息子、死の目前に不倫をして奪った夫の元妻のフリをして命拾いした老婆などなど、事件と呼ぶには大袈裟な悪意や人の卑しさを詰め込んだ、スカっとするようでイヤな汗が流れる短編集。
小説とは過去の出来事である
どの作家にも「色」があって、それは別のテーマであっても消えない。でもどちらかというとどんなテーマでもその「色」は隠せない、と言った方が近い気がする。
アリス・マンローの色は、「過去」である。時がたってようやく見えてくるもの、そういったものを描いている気がします。
この着眼点って小説の中のキャラクターの一人が背負ったり、些細なエピソードとしてなら普通なんですが、主題としているのはすごく珍しいなぁと思いました。
簡単に全編の内容を書いていきます。
次元・・・夫に子供三人を殺された妻がカウンセラーに非難されても刑務所にいる夫の面会に行き続ける話。
でも考えてみてください。あたしだってあの人と同じく、起こったことによって孤立してしまっていませんか?あのことを知っている人は誰もあたしを近寄らせたがらないでしょう。あたしは世間の人たちに、誰にとっても耐え難いことを思い出させてしまうだけなんです。
小説のように・・・プロのチェリストで医者の妻となったジョイスは、ホームパーティーにきた女性にいやなものを感じ取る。それは若かったときに自分から夫を奪った女に似ていたからだったが、その女性はジョイスに愛と憎しみの両方を持っていた。
なんだかまるで、人の世の感情のやりくりにおいては、でたらめで、そしてもちろん不当な節約がなされているの違いないという気がするではないか、もしもある人間の大きな幸せがーかにかりそめの、はかないものであろうとー別の人間の大きな不幸から生じることがあるというのであれば。
ウェンロック・エッジ・・・大学生活で出会った不思議な少女ニナといとこのアーニーが付き合うことになる。それと同時にニナの不思議なおじさんの元を訪ねた私は一生忘れられないダメージを受けることとなる。
わたしはいいレポートを書いていた。たぶんAをもらえるだろう。わたしはいくつもレポートを書いてはAを取るだろう。わたしにはそうできるからだ。奨学金を授与してくれた人たち、大学や図書館を建ててくれた人たちは、私がそうできるように金をちびちび出し続けてくれるだろう。
だが、そんなことはどうでもいい。そんなことはダメージを避ける役には立たないのだ。
深い穴・・・子供のころ深い穴に落ちてから精神世界に没頭し、教団に入った息子の話。
「もちろんだよ。僕はあの馬鹿げた自己ってもんを捨てたんだ。僕は考える、自分がどんな役に立ってるか?そして、それだけしか考えないようにしている」
遊離基・・・夫を失った62歳のニータの家に家族を殺害して逃走中だという男がやってくる。ニータは男の話を聞きながら自分も人を殺した過去について語り始める。
いいえ。夫はなんとかして彼女との仲を続けていたでしょうね。それにもしあの人がそうしなかったとしても、わたしたちの人生は彼女によって毒されてしまったの。彼女は私の人生を毒で汚染したんだから、わたしは彼女を毒殺しなきゃならなかったのよ。
顔・・・顔の右半分に紫色の母斑を持つ少年には幼馴染の少女がいたが、少女が自らの顔の右半分を赤いペンキで彩り「いっしょ」という言葉を発した時に少年は初めて屈辱を感じるのだった。
あなたは「あの自分の顔を切り刻んだ女の子」と結婚すべきだった、あなたたちのどちらもが、善行を施してやったと相手に大きな顔をしてみせることはできないからね、と。あなたたちのどちらもが、と母はけらけら笑った。相手と同じくひどい顔なんだから。
女たち・・・白血病にかかり余命短い若旦那と、彼の周りの女たちの静かな戦い。
インテリな妻・プライドの高い義母・下品で話好きなマッサージ師の三人のやり取りをお手伝いの少女が冷静に分析する話。
「待っていたんだ」と若旦那さんは言って、一息ついた。「きみがここへ来るのをね。きみに頼みたいことがあるーしてもらいたいことが。してもらえる?」
もちろん、とわたしは答えた。
子供の遊び・・・知的障害を持った少女と一時同じ家に住んでいた主人公は彼女に恐怖を抱き続けるが大人は「かわいそうな子なのよ」と主人公に我慢を強いる。引っ越しの末二人は会わなくなったがとあるキャンプで二人は再会する。知的障害をもった少女が主人公に気が付いた瞬間、彼女は恐怖を思い出す。
でも、彼女になんの力もないなどと思う馬鹿は大人だけだ。さらに言えば、とくにわたしに向けられた力が。彼女が目をつけているのはわたしなのだ。というか、わたしはそうだと信じていた。あたかも、わたしたちのあいだには説明のできない、捨て去ることもできない合意が存在しているかのように。
木・・・明るくおしゃべりな妻と寡黙で一人が好きな夫。夫はそんな妻を愛していたが、ある時から妻は塞ぎがちで陰を潜めるようになってしまった。夫は昔の明るい妻を懐かしく思ったが、変わってしまった妻も受け入れ、そして妻もまた変わらずにい続ける夫を受け入れている。
だが、こうして注意を払っていると、林地について、これまで来たときには見逃していたらしいことに気づく。なんともつれあい、なんと密生して密やかなのだろう。木がつぎつぎとあるのではなく、すべての木々が一体となって、互いに幇助し合い、ひとつものもを織りなしている。
あまりに幸せ・・・作家にして数学者であるソフィア・コワレフスカヤのお話。当時のロシアにおける女性の立場と苦悩が描かれている。
「男が部屋を出ていくときは何もかもそこへ置いていくものだということをいつも覚えておきなさいね」と彼女は友人のマリー・メンデルソンに言われたことがある。
「女が出ていくときは、その部屋で起きたことを何もかもいっしょに抱えていくのよ」
わかりやすい話もあれば、淡々とした日常もあるのですが、共通して言えるのは過去の回想がほとんどということです。
若い時には分からなかったことが、年を重ねていく中でふっとわかる時がある。それは単純にそのとき見つけられなかった問題の答えかもしれないし、そのとき言葉にできなかった感情の名前かもしれない。
もしくは忘れようとしても忘れられない罪。時がたつにつれどんどんとその重さを自覚していくような記憶。そういった人生における時間を表している作品だなぁと思いました。
個人的には、「女たち」が好きです。意味わからなくてw
単純に、女たちのマウント対決とみてるのですが、当時若かった自分には理解はできても疑問が残る大人の彼女たちのやり方が大人になると「なるほどね」と腑に落とすことができる、そういうお話だと思いました。
久しぶりに文学読んだ感じありました。あまり読書経験なくて年齢も若かったら読書の才能ないかも、って落ち込むくらいにはシンプルな小説です。つまるところ、読み手に多くの想像力とそれに伴う補完を要求してきます。
でも、それって時間と経験でしか手に入れられないものでもあるから、これは結構大人向けの小説だと思います。