《内容》
エドワードとコニーは、ニューヨークの郊外で8歳の息子と暮らしていた。ある風の強い日、コニーは若く魅力的な男性ポールと印象的な出会いをする。その時から運命の歯車は狂いはじめた。情事という危険で甘美な道へと徐々にのめり込み、罪悪感を覚えながらもその誘惑に逆らえないコニー。妻の裏切りを知り、嫉妬と愛の狭間で苦しむ夫エドワード。そして、事態は思いがけない方向へと向かっていく……。
「運命の女」というより「運命に翻弄される女」が正しいかな。
そうすると、「運命の女」が男メインなのに対して、「運命に翻弄される女」は女メインになってしまって軸が変わってしまうかなぁ。
不倫のもの映画って星の数ほどあって、純愛映画よりも多いんじゃないかって思ってる。んで、大体不倫映画で幸せになる結末ってないんですよね。
不倫は多くの人を傷つけるし、きっと傷つけられた人やその関係者が多いのか芸能人もものすごいバッシングを浴びるタブー中のタブー。
だけどきっと今この瞬間に誰かと誰かがカップルになっているのと同じ確率で誰かと誰かが不倫してる。それくらいタブーでありながらポピュラーなのが不倫なんじゃないかな、と思っています。
ファンタジー的不倫
原作は1968年のフランス映画。
SNSはもちろんない。DMやFacebook、マッチングアプリみたいな出会いはなく、ただの偶然。久しぶりに出てきた都会。強風でふらつく体にぶつかった相手。一目で「この人との間に恋愛関係が生まれる」と互いが認識した”運命”。
息子がのびのびと成長できるようにとアメリカの田舎に一軒家を建て、夫と息子と暮らす専業主婦・コリーは息子の誕生日パーティーのグッズを買いに、ニューヨークへやってくる。
その日はあり得ないほどの強風だったが、専業主婦で時間があったコリーは特に気にするでもなく出かけてしまう。
しかし、次第に強さを増していく風に煽られ、コリーは店から出ると買ったパーティーグッズも吹き飛場されてしまう。タクシーも捕まらずヨタヨタと歩くコリーは、顔の前まで積み上げた本を運ぶ青年・ポールとぶつかる。
ポールはすぐそこのビルに住んでいるから、強風で転んで血が出ている膝の手当をしにおいでよ、とコリーを誘う。
一瞬迷うコリーだったが、ポールの後について行ってしまうのだった・・・
私、リチャード・ギアが好きなんですがこの映画も「Sommersby」と同じでめっちゃ切ない役柄なんですよ。今回は夫のエドワード役です。
妻・コリーの不貞に気付きながら黙ってる。コリーがポールにつけられ油性ペンのいたずらマークを必死に消そうとバスタブで格闘している後ろ姿を見ながら「一緒に入っていいかい?」と聞いて一緒に入る。その顔はご主人様の顔を伺う飼い犬のようであった。
浴槽のお湯から浮き出ているコリーの膝小僧を撫でながらキスし、チラッとコリーの表情を見ても、コリーはどこか上の空。名前を呼んで頭を撫でてくれるけど、「寒いから早く出ましょう」とエドワードの愛撫をやんわりと拒否。
きっと自分を嫌いなわけではない。だが、今妻が求めているのは自分ではなく不倫相手であることは明らかだ。
妻の不貞に気付き、どんどんと暗く悲壮感を漂わせていく夫に反して、可愛い下着にワンピースにとどんどん美しくなっていく妻。
年下の若い男の子との一時に溺れる自分を自覚するのは、リチャードの存在ではなく息子・チャーリーの存在だった。愛する夫と愛する息子がいるのに、どうしてもポールに会いに行ってしまう自分を制御できないことに涙するコリー。
ラストは、コリーの友人の言う通りの結果になるし、観客もこの一言が最初から決まっていた結末だと分かっていてもどんどん惹き込まれていくように思う。
私はずっとなぜこの作品がこんなに美しいんだろう?と思っていたのだが、多分きれいなことしかないからだ。慰謝料とか親権だとか離婚とか、そういう現実的なことが何もなく、リチャードとコリーが泥沼の喧嘩をするわけでもない。
どこまでもロマンチックで非現実であるから美しいのだとこの記事を書きながら思った。
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不倫された側からしたら「は?」って思うと思うんだけど、コリーの自分でも自分を止められない葛藤がこの映画の美しさに貢献していてどうしても憎み切れない。しかも夫との記念のスノードームをポールに渡すほどコリーはクズなのに、どうしてもコリーより浮気相手のポールに怒りが向かってしまう。。
第三者からすれば当事者二人ともクズなのだけど、その人の葛藤を知ると同情心が沸いてしまう。。この感情は正しいのか、不誠実は私なのか・・・考えさせられる作品となりました。