深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

猫を棄てる 父親について語るとき/村上春樹~文化的雪かきは親子の歴史から始まる~

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《内容》

時が忘れさせるものがあり、そして時が呼び起こすものがある。ある夏の日、僕は父親と一緒に猫を海岸に棄てに行った。歴史は過去のものではない。このことはいつか書かなくてはと、長いあいだ思っていた。―村上文学のあるルーツ。

 

なんという私的な話なのだ・・・。私の父には村上春樹の父のような謎の習慣もないし、親子の確執もない。謎に車のアクセルを踏むのを嫌い、ナンプレが好きで、寝るとき頭痛くなりそうなくらい眉間にシワが寄っている。語ることは今のところ何もない・・・

 

文化的雪かきの始まり

 

穴を埋める為の文章を提供しているだけのことです。何でもいいんです。字が書いてあればいいんです。でも誰かが書かなくてはならない。で、僕が書いてるんです。雪かきと同じです。文化的雪かき
(「ダンス・ダンス・ダンス」より)

 

 村上春樹の両親は教師で、特に父親は大の勉強好きだったが第二次世界大戦の真っ只中という時代背景から勉強もそこそこに戦地に赴かなければならなくなった。父親は自分が思う存分できなかった勉強を一人息子の春樹氏に託したかったようだが、春樹氏は勉強があまり好きでなく、そういう父親の思いを知りながらも自分の好きなことをあきらめることができなかったという。

 

 僕は今でも、この今に至っても、自分が父をずっと落胆させてきた、その期待を裏切ってきた、という気持ちをーあるいはその残滓のようなものをー抱き続けている。

(中略)

今でも時々学校でテストを受けている夢を見る。そこに出されている問題を、僕はただの一問も解くことができない。まったく歯が立たないまま時間は刻々と過ぎていく。

 

 春樹氏が何をきっかけに文化的雪かきを始めたのかは分からないが、春樹氏の中には父親の学びたかった学業は受け継がれなくとも、父親の痛みの歴史が受け継がれ、それを語ることこそが親子の絆だったのではなかろうか。

 

 春樹氏は父親との中は冷え切っていたというが、とても細かく父親の過去を巡っている。父親の歴史と社会的な歴史を結び付け、ほとんどの情報を父親の口からではなく文献から得ている。父親がいた部隊がどの地に赴き、どのような作戦を遂行し、亡くなっていったのかを・・・。

 

 

 そのときの父の呆然とした顔をまだよく覚えている。でもその呆然とした顔は、やがて感心した表情に変わり、そして最後にはいくらかほっとしたような顔になった。そして結局それからもその猫を飼い続けることになった。そこまでしてうちに帰ってきたんだから、まあ飼わざるを得ないだろう、という諦めの心境で。

 

 タイトル「猫を棄てる」は、春樹氏と父親の大切な思い出の一つであり未解決の謎であった。これは物語ではなく事実なので答えはないのだが、私はこう思う。

 村上家にいた何匹かの猫のうち大人の雌猫を海岸に捨てに行った、猫のことが大好きだったのになぜ反対しなかったのだろう?と春樹氏は当時を回想している。

 

 村上家は日本で、猫は招集可能な国民で、村上家の当主である父親は東条英機ないしは上官であり息子の春樹氏はいち兵隊である。国は好き嫌いで赤紙招集するわけではない。それは無差別であり、不平等だ。それにいち兵隊が好き嫌いを物事の判断基準に行うことは許されない時代だっただろう。

 

 棄てた猫が帰って来た、それすなわちお国のためと戦地に放った兵隊が帰って来たことと同義である。猫が自分たちよりも早く帰って来たということは、帰り道を覚えていたからだし帰りたいと思ったからである。

 

 自分が棄てられた場所に帰りたいと思うだろうか、戦地で散っていった同胞たちの魂はどこにいるのだろうか、その思いがこの猫によって癒されたのではないか、と私は思うのだった。帰って来た、それはこの猫のように肉体を伴ってかもしれないし魂だけかもしれないけれど、帰って来た、それだけは春樹氏の父親の目に確実に映ったのだ。

 

その内容がどのように不快な、目を背けたくなるようなことであれ、人はそれを自らの一部として引き受けなくてはならない。もしそうでなければ、歴史というものの意味がどこにあるだろう?

 

これは春樹氏だけの特別な出来事ではない。実の親の歴史でなくても同じ国でなくてもたくさんある歴史の中から自らが引き受けられるものを引き継ぎ、それを追求しながら生きて答えを見つけられないまま死ぬ。そうやって歴史も苦しみも痛みも代々引き継がれていくのだ。