《内容》
東京で小学校の教師をしていた隆之(大沢たかお)は、視力を徐々に失っていく病に冒され、職を辞し、母・聡子(富司純子)が住む故郷の長崎に帰った。懐かしい町を目に焼き付けようと日々歩く隆之のもとに、東京に残した恋人の陽子(石田ゆり子)がやってくる。陽子の将来を憂い、この先の人生を思い悩む隆之。そんな隆之を笑顔で支えようとする陽子。そして、2人を静かに見守る聡子。ある日2人は訪れた寺で林(松村達雄)という老人に出会う。林の暖かい人柄に触れ、自らの病気を告白した隆之に、林は 「解夏」 の話を始める…。
眉山の時も思ったんですけど、さだまさしさんの作品は大人になってからの方が響くと思う。病によって失明するだけでなく大好きな仕事も失い、愛する人との明るい未来も失うということが少しでも体感として理解できてから見ると、すごく辛い。そしてタイトル「解夏」の意味が、より鋭く胸に迫ってくると思う。
人には人の業がある
主人公の隆之は小学校の担任として順風満帆な日々を過ごしていた。婚約者もいてクラスの子供たちからの信頼も厚い。30代半ば。ちょうど仕事も軌道に乗り、人生これからというタイミングで隆之は静かに病に侵されていく。
視界に時折潜む眉月、治らない口内炎、下半身に現れた多数の爛れ・・・隆之はベーチェット病にかかっていた。だんだんと視力が低下する病ですべてのベーチェット病患者が失明するとは限らないが、隆之はおそらく失明するだろうと宣告を受ける。
残された時間、目が見えなくなっても困らないように故郷長崎の景色を焼きつけようと退職し実家に戻る。婚約者の陽子も付き添い長崎での新生活を始める。隆之も自分の病気を受け入れ、失明後の準備をしていたが病状の悪化と共にその心は揺らぎ始める。
失明した瞬間にその恐怖からは解放される
苦しか せつなか業ですたい
ばってん 残念ながらいつか絶対来るとです
その日があなたの解夏です
タイトル「解夏」は仏教の"安居"という修行の終わりを指す。対して修行の始まりが結夏である。この物語は隆之の病の発覚から失明までの日々を描いている。まさに結夏から解夏を描いているのだ。
普通に生きているとあまり"修行"という感覚は沸かない。なぜかと言うと"修行"とは仏教界の言葉であり"悟りを開く"ことを目的とするからである。そして悟りとは人生において自分がピンチに陥ったとき、今までの自分の知識や思考だけでは乗り越えられないときに必要とするものだ。
だが、人が生まれた瞬間を結夏とすると死んだ時が解夏である。生きる苦しみや惨めさから解放されるのは究極的には死ぬ時しかない。主人公と同じように30代も半ばになっていくと仕事も落ち着き、親族の冠婚葬祭も増え、もっと本質的な"生きるとは何か"ということを考えられる土台が固まってくる時だと思う。
アマプラ↓
泣かせるねぇと分かっているのに泣いてしまう。恋人とのやり取りより、残してきた生徒たちからの手紙で。やりたかったことを諦めざるを得ない状況に追い込まれた時、生きていくためにどんな考え方をするのかはその人次第。私も今は修行中なのだと思うといつか必ず来る解夏に向かって精いっぱい生きていこうと思いました。