深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

叶えられた祈り/カポーティ~叶えられた祈りには責任が伴う~

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《内容》

ハイソサエティの退廃的な生活。それをニヒルに眺めながらも、そんな世界にあこがれている作家志望の男娼。この青年こそ著者自身の分身である。また実在人物の内輪話も数多く描かれていたので、社交界の人々を激怒させた。自ら最高傑作と称しながらも、ついに未完に終わったため、残りの原稿がどこかに存在するのでは、という噂も。著者を苦しませ破滅へと追い込んだ問題の遺作!

 

これは大人の小説だわ。

カポーティの最後の作品である本作の後に初期短編集を読んだんだけど、この読み順最高にエモいです。最高傑作かもしれない。でも、夢も希望もない。小説的な文体とか技術とかそういうのはカポーティにとって最高なのかもしれない。でも、私にはあまり響かなかった。ハイソサエティの暮らしもゴシップもどうでもいいからだ。いつか、この小説を私も「最高傑作だ」と思える日がくるんだろうか。まだ未熟でスケッチレベルと言われている初期短編集の方が今の私には響いた。

 

叶えられた祈りには責任が伴う

 

叶えられなかった祈りより、叶えられた祈りのうえにより多くの涙が流される

 

ー聖テレサ

 

 物語の語り手はP・B・ジョーンズという作家希望の男。カポーティの分身である。ジョーンズは権力のある人間に近づきコネクションを作って作家としてのキャリアをスタートしようと画策する。

 

 心の中に冷たいものを持ちながら、その魅力で周りの人間を騙し思い通りにしていくジョーンズ。だが、ジョーンズが始めたこととはいえ性欲と金と酒に溺れているハイソサエティな人間たちは見た目とは裏腹に汚れている。そのことも承知の上のはずであり、自分自身も他人を利用しようとしか思っていないのに、ジョーンズは感傷に浸るのであった。

 ジョーンズは作家として小説を一本世に生み出すが、まるでなかったかの如く無視される。怒りは恨みになりジョーンズはアメリカを飛び出し男娼になる。そこで出会った男に紹介された夫人ケイト・マクロードに恋をするが・・・

 カポーティはジョーンズとは違い祈りが叶えられ、アメリカを代表する作家となる。だが、テレサの言葉通り、叶えられてしまったからこそカポーティはより多くの苦しみや涙を見ることとなったのだろう。

 

 タイトル「叶えられた祈り」とはまさに叶った後の涙の物語であり、本作に希望はない。最初の「まだ汚れていない怪獣」とはまだ祈りの途中の状態であり希望に満ち満ちている子供。子供はイノセントだが”まだ”という時点でジョーンズはいつか汚れることを予知している。自分のように。

 

 この物語の根底となった社交界のことはよく調べていないし知りたいとも思わなかったのだが、文面からはカポーティの怒りのようなものを感じる。ブログでもなんでも自分の思いを文字にするときは、文字を見ながら書いたり打ち込んだりしているものだ。

 そうやって自分の頭の中にあったものを書き起こして目で見ることで客観的に文字を通して自分が見えてくる。そういうことをしてみるとわかるが、だからこそ意外に人を悪く言ったりこき下ろすのはなかなか難しい。

 なぜならその汚い言葉を作り出しているのが自分であることが客観的に分かるから。だからこそ、その怒りが自分の中である一定の正当性や正義を持っていない限り自分自身が耐えられない。

 

 カポーティは自分の卑劣さや非道さと向き合いながらこれを書き上げたんだと思う。その背景は作家としてすごい客観性だとは思うのですが、中々楽しい話題ではなかったですね。

 

 カポーティの初期短編集を読むと身に染みて分かるのですが、最初からトカゲの血のように冷たかったわけではないわけです。

 社会に染まるとピュアさが”磨かれて”いくわけです。これは大人になるとわかるけど、年を重ねて自分を守ってくれていた存在、精神的お守りであった人たちが亡くなって新たに評価するだけの世界で生きていかなければならないというのは、元々ピュア性が高い人には物凄い辛いことなんですよ。ピュアということは美しい分だけ汚されやすいのです。

 カポーティの繊細でやさぐれざるを得ないながらも人を求め続ける人間臭さは生き方自体が物語であり芸術のようでした。

 

ーそれである日、彼女は歯医者から帰ってくると、私が荷物をまとめて出ていってしまったのを知った。誰にも別れの挨拶をしなかった。ただ黙って姿を消した。私はそういう人間なのだ。そしてこういう人間は決して少なくないと思う。

(中略)

私はこういうトカゲの血のように冷たい連中を何人も知っている。そして私自身もそういう人間の一人なのに、彼らのことがどうしても理解できない。