《内容》
「早熟の天才」はこうして誕生した。グレニッチ高校の文芸誌に掲載された7作を含む、思春期から二十代はじめにかけて執筆された未発表作品14篇をセレクト。出自を隠して白人学校に通う少女、死を目前にした孤独な老婆―社会の外縁に住まう者たちに共感を寄せ、明晰な文章に磨きをかけていく。若き作家の輝きに触れる貴重な短篇集。
村上春樹が巻末の解説でこの短編集はスケッチのようなもの、と書いていたので結果がよくわからないフワッとした内容なのかな?と思ったんですが(先に解説から読んだ)、とんでもない。確かに完成度となるともっと続きがありそうに思えたので、そういう意味でのスケッチなのかもしれませんが、個人的には読みやすいし、カポーティ!?って思うくらい暗さが身を潜めていたので好きでした。
特に孤立したお婆さんの生き方を”美しい”と描く「ミス・ベル・ランキン」が好きです。
ミス・ベル・ランキン
そう、たしかにミス・ベル・ランキンは変わっていて、少しは頭の中まで変わっていたのかもしれない。でも、あの寒い二月の朝、あの花を頬に押し当てて、じっと静かに倒れていたのは、きれいな女の人だった。
(ミス・ベル・ランキン/ここから世界が始まる)
僕が8歳のとき出会った嘘みたいに年をとったしわくちゃの老婆ミス・ベル・ランキン。ひどく古いボロ屋に住んでいる。ミス・ベル・ランキンは昔の辛い思い出を毎日のように思い出してどなったり叫んだりするので、周りの人たちは「あたまがおかしい」とか「イカれてる」と思ってる。みんな出ていけと言っていたのに、ミス・ベル・ランキンが死んだとき、周りの人は「お気の毒に」なんて言ったりする。
まだ若く"老いる"ことが分からない8歳の僕は、ミス・ベル・ランキンについて"こんなに老いたら辛いんじゃないか"、"ボロ屋に住むなら椿の木がどんなに綺麗だって売ったらいいじゃないか"と思っていた。椿の木の価値が僕にも周りの人にも分からなかったのだ。
ミス・ベル・ランキンが椿の木を売らなかったのは、人生で大切なのは若さでも富でもなく美しいものだということを分かっていたからなんですね。
それは年を重ねたからこそ辿り着いた美学かもしれないのですが、8歳の僕が分からないのはともかく周りの大人たちにもそれが分からない。
分かる人がいないからミス・ベル・ランキンは頭のおかしいイカれた老婆になるんだけど、その美しさをなんとなーく感じているのが僕であり若き日のカポーティなんだろうなぁと思います。
この短編集の中でも人を裏切ったり恐怖で見殺しにしたりする話があるんだけど、それに対して震えたり泣いたり反応はとにかくひねくれてもいないし斜に構えてもいない。怖い漫画を見て眠れなくなるようなピュアな主人公ばかりです。
ここから始まって叶えられた祈りに行くのか・・・と思うと、まさに劇的な人生だなぁ、この人生こそ一つのドラマじゃないかと涙ぐんでしまうのでした。