深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

草の竪琴/カポーティ~草の穂たちはあの丘に眠るすべての人の物語を知っている~

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《内容》

両親と死別し、遠縁にあたるドリーとヴェリーナの姉妹に引き取られ、南部の田舎町で多感な日々を過ごす十六歳の少年コリン。そんな秋のある日、ふとしたきっかけからコリンはドリーたちと一緒に、近くの森にあるムクロジの木の上で暮らすことになった…。少年の内面に視点を据え、その瞳に映る人間模様を詩的言語と入念な文体で描き、青年期に移行する少年の胸底を捉えた名作。

 

 主人公の少年・コリンの11歳から16歳の記録。

 姉妹のいさかいの結果、姉のドリーが家を出て、木の上で暮らすという何ともほっこりする牧歌的な田舎町ならではの事態。

 

 カポーティのすごいところは風景描写で、アメリカの南部の田舎町なんて見たことがないのに、まるで見たことがあるみたいに頭の中で想像できてしまう。

 この姉妹の住む家の間取りから、姉妹のケンカをのぞいて心配しているコリンの表情も、悪態をつくキャサリンの様までくっきりと自分の頭の中で生き生きと動いている。

 

 内容はなんてことない姉妹の食い違いで、それに巻き込まれる人たちの話なんだけど、どうしてだろう、カポーティが描くとものすごく美しくて切なくなってしまう。

 

 内容自体はけっして目を引くものじゃないけれど、この美しい景色をぜひ見て欲しいと思ってしまう。

 

草の竪琴

 

ドリーが言った、「聞える?あれは草の竪琴よ。いつもお話を聞かせているの。丘に眠るすべての人たち、この世に生きたすべての人たちの物語をみんな知っているのよ。わたしたちが死んだら、やっぱり同じようにわたしたちのことを話してくれるのよ、あの草の竪琴は」

 

 主人公の少年・コリンは従妹のドリーヴェリーナの家に預けられた。コリンは控えめで不思議な雰囲気のドリーと姉妹の家で働く自称インディアンのキャサリンと友達になった。

 

  キャサリンはドリーを「ドリーちゃま」といい、ヴェリーナを「あいつ」と呼んだ。姉なのに養女のようにひっそりとしたドリーは不思議な人で、一般知識はなくても人にはわからない知恵をそなえていた。

 

たしかにドリーは、一番香りのよい花を見つけ出す蜜蜂のように、人にはわからない知恵をそなえていた。無花果の実の熟し具合を言い当てたり、マッシュルームの生えている場所、野生の蜜蜂の巣、卵のあるホロホロ鳥の巣などへ案内することもできた。ドリーは周りを見まわし、目に映るものを肌で感じとってしまうのだ。だが、宿題となると話は別で、キャサリンと同様、無知としか言いようがなかった。

 

 姉妹は結婚しておらず、家計はヴェリーナが支えていた。ドリーはこの不思議な力と偶然出会ったジプシーから教えてもらった水種薬の歌から、水腫薬の調合をして瓶に詰めて売っていた。

 

 ヴェリーナは注意したが、ある年に所得税を払えるほどの収入があったとわかるやいなや何がその薬になるのかとドリーに聞く。ドリーはあれやこれやとごまかすが、それがお金になるとわかったヴェリーナはユダヤ人と組み、会社を立ち上げようとするのだった。

 

 だが、商売にはまったく興味がないドリーはヴェリーナの誘いを断り、交渉決裂、木の上へと旅立つことになる。ドリーに懐いていたコリンとキャサリンも一緒に。

 

人は話たけりゃ、話したいことを話せるでしょうよ。相手を傷つけるだけの話し方だったり、忘れてることがいちばんの思い出を引っ張り出したりねえ。でもあたしは、人間はたくさんのことを心の中に秘めておくべきだと思うね。人の心の奥の奥、これこそは人間の良き部分というわけよ。自分の秘密を喋り散らすような人間の中に、いったい何が残ってるっていうのさ。

 

 ドリーたちには捜索依頼が出され、クール判事にバスター牧師夫妻、ジュニアス・キャンドル保安官、それとメイシ―・ウィーラー夫人が木の下にやってきた。だけどドリーたちは木の上から降りなかった。

 

判事さんは、あたしらはみんな何かトラブルのせいでここに登っているんだと言ったけど、おかしくって!ここにいるのはもっと簡単な理由よ。一つにはこの樹の家があるってこと、二つにはあいつとユダ公があたしらのものを盗もうとしたこと、三番目は、いいかい?みんなここにいたいからいるってことさ。つまり、心の奥の奥の声がそうしろと言うからだわね。

 

 唯一判事だけはコリンたちに心を寄せて、木の上にあがった。屋根もなく吹きさらしの風の中で彼らは肩を寄せ合い夜を過ごす。

 

 それから木の上の生活が終わるまでのことが書かれているのですが、ワンシーンごとがキラキラと水面が太陽の光で輝くようなきらめきを持っていて、とても美しいのです。

 

僕たちは、どこに向かって歩いているのだろう。静かに眼を見張り、墓地の丘からあたりを見渡した。それから腕を組んで、夏の太陽に焼かれて九月の光沢を帯びた草原へと下って行った。乾いて、さらさらと弦をかき鳴らしている草の穂に、色彩の滝が流れていた。