《内容》
父親を探してアメリカ南部の小さな町を訪れたジョエルを主人公に、近づきつつある大人の世界を予感して怯えるひとりの少年の、屈折した心理と移ろいやすい感情を見事に捉えた半自伝的な処女長編。戦後アメリカ文学界に彗星のごとく登場したカポーティにより、新鮮な言語感覚と幻想に満ちた文体で構成されたこの小説は、発表当時から大きな波紋を呼び起した記念碑的作品である。
タイトル「遠い声 遠い部屋」は、主人公ジョエルと世界との隔たりのことなのだと、読んで思いました。ジョエルは13歳。中学1年生くらいの年ですね。子供だけど、何も知らないわけではない。知識はなくとも肌で何かを感じ取る力が芽生え、大人との交流も増える年齢です。
自分はなぜ生まれたのだろう?なんのためにここにいるのだろう?親は本当の親だろうか?友達は自分を裏切らないだろうか?
そういう内向的な自分を自覚し向き合うとき、親しかった友と語り合う場はジョエルにとって”遠い部屋”となり、ジョエルを呼ぶ声も”遠い声”となる。
自分の存在意義を見つめるとき
だが、ジョエルの胸には何の祈りも浮かんでこなかった、というより、言葉の網に捕らえられるものが何一つなかったのだ。ただ一つの例外を除いて、今までの彼の祈りはすべて単純な、具体的なものばかりだったからであるー神さま、ぼくに自転車をください、刃の七つついたナイフをください、油絵具の箱をください。だけどそれにしたって、いったいどうしてあんなあいまいな、意味のないお祈りができるんだろう
ー神さま、わたしを愛されるようにしてください、なんて。
主人公のジョエルは父を探して長距離バスのトラックに乗りこむ。父がいる家に行くことにはなったが、父親にはなかなか合わせてもらえない。ジョエルが父のことを訪ねるたびに人々は急に耳が遠くなってしまうのだ。
父の家には父の細君であるミス・エイミイと黒人のお手伝いのミズーリことズー。それからズーの父親がいた。それとミス・エイミイのいとこのランドルフが、ジョエルがこれから一緒に暮らすメンバーだ。
母と死別し、父の手紙をたよりにやってきた田舎町。だが、父は一向に息子である僕の目の前に現れない。遠路はるばるやってきた息子に涙を浮かばせて感動の対面・・・なんてことを考えていたのに、自分の前にやってこないどころか、この家にいるはずなのに、この家の誰もが口を噤む。
元の場所に帰ろうにも、長距離トラックに乗ってきたジョエルに帰るすべはない。よりどころのない心を抱えて日々を過ごす13歳のジョエルは、この世間から遠く離れた場所とこの場所から動けずにいる人たちに否が応でも感化されていくのだった。
ジョエルはうろたえた、だが今の彼はミス・ウィスティーリアも、アイダベルも、とうもろこし人形を抱いた少女も、だれをも傷つけたくなかった、彼はできることならこう言いたかったーそんなことかまいません、ぼくはあなたを愛しています、あなたの手を愛しています。
サーカス団の一員の小人のミス・ウィスティーリアは20歳の時に77歳の老人から結婚を申し込まれるも、ミス・ウィスティーリアの小ささを見るや否や縁談を断られてしまう。ミス・ウィスティーリアは小さな男の子もやがて大きくなってしまう、とジョエルに手を伸ばす。
アイダベルは凶暴な少女として煙たがられていた。
ジョエルは世間からはみ出し者として扱われる人たちを拒絶することができない。それはジョエル自身もまた"はみ出し者"であったし、父の住む家にいるのはすべて"はみ出し者"であったから、彼らを愛さずには生きていくことはできないというのを肌で感じていたのだろうと思う。
子供のように自分の誕生日にひどくこだわり癇癪を起すミス・エイミイと倒錯者のランドルフの二人が自分の保護者で、友達のズーは一度この家から去ったけれど白人にひどい強姦をされたのち家に戻って来た。父は寝たきりでこの家の一室から出ることさえできない。
このひどく閉鎖された世界で、ジョエルは自分を振り返るシーンで物語は終わる。大人の世界に何一つ希望を見出せず、不安を持ち越したまま大人に近づいていく怖さがこの物語だと思います。
もしこれがカポーティの自叙伝であるなら、どれだけの不安を抱えながら生きてきたんだろうか、と思う。