《内容》
大金を使い込み、突然会社をクビになった夫。妻が問いただすと、つらい勤めの苦痛や不安を癒すため毎晩のようにバーに通いつめていたという。平凡な中年サラリーマンの家庭に生じた愛の亀裂――日常生活のスケッチを通し、ささやかな幸福がいかに脆く崩れやすいものかを描いた芥川賞受賞作『プールサイド小景』、家庭の風景を陰影ある描写で綴った日本文学史上屈指の名作『静物』等、全7編を収録。
久しぶりにスーパークールな小説読みたいなぁと思い、噂の「プールサイド小景」を読んでみました。「静物」だけでは分からなかったのですが、庄野さんのテーマは「家族」なんですね。すべての物語が決して外部からは見えない家族の姿でした。
プールサイド小景
だが、そうではない。この夫婦には、別のものが待っている。それは、子供も、近所の人たちも誰もが知らないものなのだ。
仲の良い子犬のようにじゃれながら泳いでいる小学生の息子二人をプールサイドで見守る優しげな父親。やがてプールの入り口に大きな白い犬を連れてやってきた母親。
外側から見れば幸せそうで理想的な家族の姿。だが、しかしこの父親は一週間前に会社の金を使い込み解雇されたのだった。
妻は寝耳に水状態で事態を受け入れるが、このときになって初めて「はて?そういえば夫といつもどんな話をしていたっけ?夫が仕事でどんな思いをしているとか、そういうのを聞いたことがあったけ?」と思い始める。
そしてこの先のことを考える。
妻子持ちの40過ぎて会社をクビになった男をどこの会社が雇ってくれるのだろう?と。
そしてつい一週間前はどんな風に過ごしていたっけ?何を考えていたっけ…と。
あたしたちは夫婦で、お互いに満足し、信頼し合っているとひとりで思い込んでいたのに、自分が夫の心を慰めるという点ではちっとも役に立っていなかったとしたら、あたしは何をしていたのだろうか。
一方夫は会社への思いをこう語る。
誰もいない朝、僕は椅子や机や帽子かけやそこにぶら下がっているハンガーを見ていると、何となく胸の中がいっぱいになってしまうことがあった。それらは、ここに働いている人間の表象で、あまりに多くのことを僕に物語るからだ。
夫にとって会社員とは何かに怯えているもので、それは自分だけではないが、何に怯えているのかは自分でも分からない。だがそれは家庭に戻っても自分を縛り、夢の中までも入ってくるものなのだ、と語る。
突然の解雇は子供達には休暇だと説明し、解雇されて10日を過ぎると、夫は以前の出社時間に家を出るようになる。妻は夫が家を出てどのように街をさまようのかを想像し苦しくなる…
人は平凡な日常の中では鈍感になる。夫の変化に一切気付かなかった妻に夫の解雇は”夫婦とは?””家族とは?”という疑問を植え付け、夫が消えてしまうのではないか、という不安が常に彼女の精神を支配し出す。
幸せそうな家族の表象から一変して綱渡りの日々を送ることになった家族の話。だけどそれはサスペンスでもミステリーでもなく家族という小さな世界の中でひっそりと変化したもの。
外部からの視点が一切ない家族(夫と妻のみだけど)の描き方は、どこの家にもある他には見せない苦悩や秘密を覗いているようなリアル感がありました。
短編集で他のお話もあるのですが、どれもが家族のスケッチでした。他人の家のルールは我が家とは違うし、かといって他人の家の子供たちが集まって複数の家族が合流することもある。”家族”という当たり前すぎて考えたことないけど、実は似ていても同じ家族は一つもないという、書くと当たり前すぎるけれど、当たり前すぎて見落としていた何かを発見できるような作品でした。