《内容》
理想の女性を追いつづける男の哀しみを描く「冬の夢」。わがままな妻が大人へと成長する「調停人」。親たちの見栄と自尊心が交錯する「子どもパーティ」。アメリカが最も輝いていた1920年代を代表する作家が、若者と、かつて若者だった大人たちを鮮やかに描きだす珠玉の自選短編集。
フィッツジェラルドの短編集は初めてです。
何も知らずに買ってみたんですが、「冬の夢」が良すぎてびっくり…というかギャッツビー味があってうぉおおおお!ってなりました。(語彙力)
冬の夢
だが誤解してはいけない。冬の夢の初期段階で金持ち階級へのこだわりがあったとしても、この若者が上ばかり見ている俗物だったのではない。きらきら輝く人やものとお近づきになりたいのではなかった。きらきら輝くものが欲しかっただけだ。なぜ欲しいのかわからずに手を伸ばしていることもあった。
主人公デクスターはキャディの仕事中に出会った11歳の少女ジュディ・ジョーンズに心を奪われる。最初は自覚なき恋だったが彼女との再会はデクスターを喜ばせ、しかし悲しませた。
一時二人は付き合うが、それもジュディのモテっぷりによる気まぐれによって壊れてしまう。それはデクスターの婚約破棄にもなった。
だがそれでもデクスターはジュディを恨むことはなかった。デクスターにとって彼女は夢だったから。自分がつかめなくても、きっと誰にもつかめないのだろうと思っていたのだ。
しかし数年後に聞かされたジュディの今は、初めてデクスターの心に穴を開けたのだった。
いまの自分が遠くまで来てしまって、もう逆戻りすることはないからだ。門という門が閉まっていて、太陽は落ちていて、美と言えるものはない。
とどのつまり、冬の夢そのものだったジュディが誰かと結婚するということは特に問題ではないのだが、その結婚生活で彼女が庶民に染まりしみったれてしまったことが冬の夢の終わりであり、デクスターの崩壊なのだった。
「きらきら輝くものが欲しかっただけだ」というが、その純粋な願いもきらきら輝くもの自体が消滅してしまえば、願いも色褪せ過去の産物となるしかない。
ありていに言えば、ずっと好きだった華奢で黒髪のおとなしい美少女だった同級生の子と数年ぶりに再会したら、恰幅のいい肝っ玉かあちゃんになってた、とかイケメンでスポーツ万能で優しい王子様だった男の子が禿げて太ったおじさんになってた、とか、そういうのをめっちゃくちゃきれいに書いているのだ。
いやこういう心理は何年経っても変わらないのだなぁ、そして、令和になっても文章の上手さというのは超えられない個人財産なんだなぁ、と思うのでした。
「子どもパーティ」での、子どもを疎ましく思っていた父親が子どもと女房のために戦ってやっと父性に目覚める、というのも古今東西永遠にありそうなテーマでフィッツジェラルドの目の付け所すごいなぁ、と思いました。