《内容》
このままじゃ不登校んなるなぁと思いながら、僕は小学生の時にバッテリーを組んでた一個下の春と再会した。そしたら一瞬にして、僕は怪しい闇バイトに巻き込まれ始めた……。
でも、見たり聞いたりした世界が全てじゃなくって、その裏には、というか普通の人が合わせるピントの外側にはまったく知らない世界がぼやけて広がってた──。圧倒的中毒性! 超ド級のデビュー作!
ティーンたちの連帯と、不条理な世の中への抵抗を描く。
作者の大田さんはこれからもこの文体で書いていくのだろうか。
次の作品がとても気になる。
印象として、使い古された慣用句や比喩がほとんどなくて、大田さんの言葉が書いてある。
お腹は心底ペコペコなんだけど、今ピザなんか口に入れたら刺激が強すぎて、このぬくぬくほかほかしたバイブスが全部ソースとかチーズとかの色に上塗りされちゃいそうだからやめとく。
新鮮でもあり、誠実さ、文学への愛を感じる。
血よりも絆でなれる家族
「血よりも絆でなれる家族」とラメちが続きをラップした。「きゅんです」
「だってさ、どんどん桁増えて、使い切れねぇ金あっけど、痛くなるまでおせっせしても、数えきれないくらいインスタフォローされても、ドリチケで声かけられても、愛なかったら意味なしじゃん。んなことよりみんなで吸いまくって吹っ飛んだり、電車で席譲って胸がぬくぬくしたり、あとみんなで吸いまくって焼き肉行ったり、そっちのが大事じゃん?つか、はぐみが楽しそうに歌ってたり、ひかるがゲーム没頭してるだけでうちは胸がつまる時ある」
しゃべりながら興奮したのか、「ほしいもん、もうぜんぶ持ってる」と言った春の目に蛍光灯が強く反射した。
主人公のモモセス(桃瀬っす、がモモセスになる)は、昔バッテリーを組んでいた春と再会する。
高校生になったモモセスは野球はもちろろん、登校さえも不定期で無気力な状態だ。
そんなモモセスがばったり会ったのは少年野球でバッテリーを組んでいた春。年下の彼女が人知れず行っている大麻クッキーの密売にあれよあれよと巻き込まれていく。
父親が死に母と二人で暮らすモモセスは死に取り憑かれている。人なんてあっけなく死んでいく。どうせ死ぬのになにに意味があるんだろう。でも死にたくない。安全な場所で生きていたい、そういう思春期の不安定さをモモセスが担い、血を流しながら生きるために戦う戦士を春が担う。
どことなく武曲を思い出す作品でした。
周りには鞭を唸らせる者、ねずみ花火を投げる者、四股を踏む者、機関銃で掃射する者らが好き勝手やっている。こいつらが間違った妄想の「国家社会」を愛し、国のためだけの平和繁栄とやらいう詐術に寄与しようと殺到する様を想像すると、ゾッとする。とんでもない戦争や大災害が起きたら、ヒトラーみたいな奴が現れるんじゃないか。本当に真剣に動いてくれるのは、俺らみたいなラブ&ピースだけは手放さずに、個人としてマジで生きてる者らじゃね?
(武曲/藤沢周)
武曲の記事を読む。
死んだジジィが決めた悪だろうが、今を生きる人たちが決めた善だろうが、個人としてマジで生きること、すなわちラブ&ピースじゃね?ってことなのである。
個人的に好きだなぁと思った一文。
惰性の睡眠とYouTubeだけの張り合いない生活との緩急もあいまって、音楽が気持ち良いとか、食べ物がおいしいとか、グミ氏が素敵だとか、生きてて感じる原始的なよろこびで胸がいっぱいんなる。でも体はずっとソファに沈んじゃってて、こころはすごい速さでいろんなことを感じて、考えてんのに体はずっと止まってるからそれを表現できない。
大麻で心は満たされるのに体はついていかなくて、心体がバラバラになっているシーン。泣きたくなるほど切実なシーン。
孤独でいいから死にたくない、というのが若いなぁ、と思いました。年取ると、孤独と死がタッグ組んでくるからさ。