深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

【映画】ボーはおそれている 〜ありのままの自分では裁かれてしまう世界を恐れないわけなんてない〜

スポンサーリンク

《内容》

日常のささいなことでも不安になってしまう怖がりの男ボーは、つい先ほどまで電話で会話していた母が突然、怪死したことを知る。母のもとへ駆けつけようとアパートの玄関を出ると、そこはもう“いつもの日常”ではなかった。その後も奇妙で予想外な出来事が次々と起こり、現実なのか妄想なのかも分からないまま、ボーの里帰りはいつしか壮大な旅へと変貌していく。R15

 

 おいこれアリアスターじゃなかったら途中でやめてるぞ!なんなんだよこの映画!………(ラスト20分)ヤベェ、めっちゃアリアスターだったわ……

 

傍観者の罪

 主人公のボー怖がりで済むのか知的障害の域なのか、それとも精神障害なのかよく分からない位置づけである。

 ただ家の鍵がなくなったり、店のものをお金を払わずに封を切るとか、尋常ではないことだけは確かだ。

 こういった一般的ではない行動と、裸のおっちゃんたちに追われたり天井におっさんが張り付いていたりする妄想とも思われるシーンが続き、まさに観客も悪夢の中に引き摺り込まれる。

 よくある夢の中で「あぁ、夢なら醒めてくれ!どうして夢から醒める方法が分からないんだ!」状態である。映画館で見てたら途中で退席したくなるし、アリアスターというクレジットがなければラストまで見るのはかなりきついと思う。

 

 とにかくボーは風貌的には50代くらいに見えるが、母のクレジットカードで買い物したり、母に電話したり、女性に対しても子供に対してもとにかく年齢と見合っていない、子どもなのだ。

 

 じゃあボーが子どもなのはなぜか、というとそれが母の呪縛なのですね。母は母で狂ってるわけです。というか、自分の思い通りに行かないボーが憎いわけです。愛憎が母を支配し、ボーはそれをまともに喰らって、善悪の判断より自己保身に走ってしまうわけです。

 

 人が生まれて、安全という言葉を知る家庭が安全でなかったから、ボーは常に恐れる。ランダムに訪れる母の苛立ち、それを引き起こすのは自分の選択の間違い、何が正しい?どうすればいい?怖い、怖いよぉ、というのがこの作品。

ボーはおそれている

ボーはおそれている

  • ホアキン・フェニックス
Amazon

 立派な母親はボーにも自分と同じ強さを求める。だからボーを罪人として裁くのだ。ありのままの自分では裁かれてしまう世界を恐れないわけなんてない。