《内容》
モカシン電報(W.P.キンセラ);34回の冬(ウィリアム・キトリッジ);君の小説(ロナルド・スケニック);サミュエル(グレイス・ペイリー);生きること(グレイス・ペイリー);荒廃地域(スチュアート・ダイベック);イン・ザ・ペニー・アーケード(スティーヴン・ミルハウザー);夢で責任が始まる(デルモア・シュウォーツ);彼はコットンを植えない(J.F.パワーズ);レイミー(ジェイン・アン・フィリップス);嵐の孤児(メアリー・モリス);ビッグ・ブロンド(ドロシー・パーカー)
夢のなかで責任が始まる、を買おうかなぁーって悩んでたらアンソロジーがあったのでまず入門。
すごい惹かれるジャケとタイトルで、もう即買いしようかなと思ったんですが、海外の作品は高い+癖あると辛いのでまずはアンソロか文庫から入る保守派です。デルモアは文庫とかないし。。
アメリカ小説の魅力
本書には1920年代の作家から現代の作家まで、リアリズム小説からシュール・レアリスム小説まで、前衛小説からユーモア小説まで、実に様々な傾向のアメリカ短編小説(最もキンセラだけはカナダ人だが)が嗜好の分裂一家の食卓に供される晩餐のごとくあれこれとノン・コンセプトに詰めこまれている。そしてそのような宿命的不統一ないしはカオスの中に、何らかの明確な共通項を求めることは、驚異的にパワフルな想像力を持って生まれついた読者を例外にすれば(例外について我々が何を知りうるだろう?)、まず不可能ではないかと僕は思う。
やっぱ村上春樹って文章うまいな、と思う。バランスがいい。難しい言葉を入れながらこれだけわかりやすくワクワクさせてくれる。
そして自分の勘が怖いと思った。 デルモアが、とてつもなくよかった…!
ママはパパのあとを追おうとするが、その時、占い師がママの腕をぎゅっとつかみ、そうしないでくれとたのむ。そしてぼくは、座席にすわったまま、どうにも言いようのない驚愕におそわれる。サーカスの観客の頭上百フィートもの高さを綱渡りしていて、突然網が切れ始めるーーまるでそんな気がしたのだ。
主人公は映画館で、ママとパパの出会いを見てる。二人を知っているぼくは、なぜパパがそんなことをするのか、なぜママがそんな顔をするのかわかる。今現在の立ち位置から未来はわからないけど、結果がある場所から過程を振り返るとき、ぼくは二人の過ちを叫ばずにはいられない。
もちろん映画を見てるのはぼくだけじゃない。だから、そんな立ったり叫んだりしちゃったら他のお客さんに迷惑になっちゃう。ぼくは隣に座っている老婦人に「ただの映画じゃないの」と慰められる。それでまた腰を下ろすんだけど、そんなことが何回もあって、最後にはついに案内係に引きずり出されてしまう。
他人の迷惑にならない所でだって、こんなことやっちゃいけないんだ。やるべきことをやらないと、いつか後悔するぞ。このままやっていこうったって駄目だ。正しくないんだ。じきにわかる。お前がやることは、お前が自分で責任を持つんだ
こうして劇場のロビーに引き摺り出されたぼくは冷たい冬の朝の冷気に包まれ目を覚ますのだった。
シュール・レアリスムって感じで、夢なのか現実なのか、それが綺麗にカオスでめちゃくちゃ好きです。しかも読みやすい。買いますもうデルモアは。
とはいえデルモア以外のとてもよかった。特に最後のドロシー・パーカーの「ビッグ・ブロンド」はかなりわかりやすくて大人気作家だったのがよくわかる。
個人的にはスティーヴン・ミルハウザーの「イン・ザ・ペニー・アーケード」が次点で好き。訳者の柴田元幸氏が紹介文で「百人中百人に気に入ってもらえる作家ではないかもしれないけど、好きな人にはすごく好きになってもらえるんじゃないかと思っています。」って書いていて、はい、私です!と思いましたね。やれやれ。