《内容》
神経の不調に悩む女にあてがわれた古い子供部屋。そこには、異様な模様の壁紙が貼られていた……。“書かれるべきではなかった、読む者の正気を失わせる小説”と評された、狂気と超自然の間(あわい)に滲み出る恐怖「黄色い壁紙」ほか、デモーニッシュな読後感に震撼すること必至の「宿無しサンディ」等、英米の淑女たちが練達の手で織りなす、本邦初訳の恐怖譚12篇を収めた一冊、文庫化。訳者鼎談=倉阪鬼一郎・南條竹則・西崎憲
■目次
シンシア・アスキス「追われる女」
メアリ・E・ウィルキンズ-フリーマン「空地」
アメリア・B・エドワーズ「告解室にて」
シャーロット・パーキンズ・ギルマン「黄色い壁紙」
パメラ・ハンスフォード・ジョンソン「名誉の幽霊」
メイ・シンクレア「証拠の性質」
ディルク夫人「蛇岩」
メアリ・E・ブラッドン「冷たい抱擁」
E&H・ヘロン「荒地道の事件」
マージョリー・ボウエン「故障」
キャサリン・マンスフィールド「郊外の妖精物語」
リデル夫人「宿無しサンディ」
なるほど確かに「淑やか」である。
個人的にはこっちのばっちり怖いやつのが好きですが、本作のひっそりとしたホラーも良きです。
読む者の正気を失わせる小説
前にも言ったが、壁紙はところどころ剥がれている。しかしそれ以外の箇所は壁と壁紙は兄弟よりも強い絆でしっかりとくっついているーー壁と壁紙のあいだには増悪だけでなく忍耐心もあるに違いない。
(黄色い壁紙/シャーロット・パーキンズ・ギルマン)
主人公わたしの夫・ジョンは医者である。わたしの兄も医者であり、彼らは信仰や迷信など信じない。それに名医の呼び声高く専門家である夫の言うことに反対するほど、自分の考えが正しいとは思えない。
わたしは病気なのだ。いつでも塞ぎ込んでいる。
わたしは時々ジョンにたいして理由のない怒りを覚える。わたしは以前はこんなに感じやすい人間ではなかった。これはやっぱり、今の自分の神経の状態のせいなのだろう。
でもジョンはわたしが神経のせいにすると、適切な自己抑制が怠られることになるだろうと言う。だからわたしは苦労して自分を抑えようと努めているーー少なくとも、かれの前では。でもそうするのは酷く疲れる。
わたしはこの家が気に入らない。でもジョンはわたしのためにここにきた、と言う。ここで完全な休息をとり、良い空気を吸うのだ、と言う。この家の育児室の壁紙は剥がれて裂け目がありこんなにひどい壁紙を見たことなどなかった。
壁紙の模様は妙に曖昧で、追っているうちに目を混乱させるし、疲れさせるし、ほぼ確実に気持ちを苛立たせる。その反面、模様は強い好奇心を起こさせるのだが、曖昧で盲滅法な線を追っていくと、それらはいきなり自殺でも企てるかのように滅茶苦茶な方向に突進し、矛盾に満ちた死を遂げる。
ジョンは最初壁紙を変えようと言ったが、そのうちわたしが壁紙を気にしないようにしないとダメだと言うようになった。ジョンが言うには、もし壁紙を変えても、次は愛想のないベッドが厭になるに違いないのだ、と。それから釘打ちした窓が厭になり、廊下が厭になり、そうやってありとあらゆることが厭になるのだろう、と。
自分の精神状態についてジョンと話し合うことは難しかった。なぜなら、かれは頭が良すぎるし、わたしのことをとても愛しているからだ。
わたしはだんだん壁紙に愛着を持つようになっていく。そしてその模様の向こうに無数の女たちを見る。女が動くから模様が動くように見えていたのだ。
明るい箇所では女は温柔しくしている。暗いところでは自分をとじこめる檻をつかんで激しく揺さぶる。
この黄色い壁紙はwikipediaによるとアメリカのフェミニスト文学初期の重要な作品と記載されている。
よく読まなくても初っ端から「結婚したら夫に笑われることなんて珍しくはない」と書かれているので、現代の感覚だと共感や面白さより「お、ヤベェやつだな」と思うはずだ。
しかも、この作品が書かれた当時に慮らなくても「結婚したら夫に笑われることなんて珍しくはない」という一文が非常にすんなりと入ってくること自体が全く怖いことなのだ。
最後、わたしは壁紙の中の女と同じように部屋を這うようになる。そしてそんなわたしを目にして気絶した夫を見た最後の一文
だからわたしはその場所にくるたびに、かれの体を乗り越えなければならなかった。
男女の中に絶対に分かり合えない壁があり、愛があるとは言っても、そこは裂けてズタボロである。かれと一緒に何かを乗り越えるのではない。まず、かれを乗り越えなければいけないのだ。そんなこと、したくないのに。
個人的にはキャサリン・マンスフィールド「郊外の妖精物語」の世界観がすごく好きだなぁと思って、短編集を買おうかな、と悩みます。なんたってヴァージニア・ウルフでつまずいている。。