ここは汚れなき理想郷のはずだった。
1000年後の日本。伝説。消える子供たち。
著者頂点をきわめる、3年半ぶり書き下ろし長編小説!
子供たちは、大人になるために「呪力」を手に入れなければならない。一見のどかに見える学校で、子供たちは徹底的に管理されていた。いつわりの共同体が隠しているものとは――。何も知らず育った子供たちに、悪夢が襲いかかる!
第29回日本SF大賞受賞
話が壮大過ぎて、まとめるのもおこがましい気でいっぱいですが、敬意を込めて・・・。
登場人物&主要人物&特殊設定
左の少年から紹介
- 青沼瞬・・・成績優秀、呪力も使いこなす美少年。聡明で繊細。
- 朝比奈覚・・・お調子者だが、成績優秀。いざという時頼りになる。
- 渡辺早季・・・主人公。呪力も成績も良くないが人間的に強い。
- 秋月真理亜・・・赤い髪の美少女。心優しき乙女。守と恋仲に。
- 伊東守・・・くせ毛の少年。真理亜にだけ心を許している。精神が脆い。
左からスクィーラ、奇狼丸
- スクィーラ(野狐丸)・・・人間と同等の知恵を持つバケネズミ。キーパーソンであり、黒幕。
- 奇狼丸・・・同じく人間と同等の知恵を持つバケネズミ。しかし、野狐丸の野望と対峙し人間側につく。
- バケネズミ・・・ハダカデバネズミから進化したと思われるネズミ。呪力を持つ人間を神と呼び絶対服従している。コロニーと呼ばれる巣を地中に作り女王を中心に生活している。
- 業魔(ごうま)・・・町に伝わる怪物。呪力の制御が不可能になり、自分の意志とは関係なく周囲の生物、無生物に危害を与える。治療不可能。
- 悪鬼(あっき)・・・攻撃抑制、愧死機構がないため、無差別に人を殺していく怪物。何度か前例有。通常の人間には愧死機構があるため悪鬼を倒すことができない。
- 攻撃抑制・・・呪力を持った人間同士が戦わないために遺伝子に組み込まれている。
- 愧死機構・・・同種である人間を攻撃すると作用する。最初にめまい、動悸等の症状が現れ、更に攻撃を続けると死に至る。
- 呪力・・・なんか超能力的なやつ←超重要
これだけ分かればざっくり分ります。多分。
※呪力を持った人間は呪力を持った人間を攻撃出来ない(というか攻撃しようという気さえ持ち合わせない)
【理由】
もう何年も争いのない社会が出来ており、呪力を持たない人間の時代の戦争(第一次世界大戦とか第二次世界大戦とか)の資料は読めなくなっていたので子供達は争いのあの字も知らないような無菌室で育ってます。
また、争いの種が出来ないように、少しでも不安な要素があったり、障害(視力が悪い等)で呪力をうまく扱えない子は大人達がひっそりと処分し、残された子供たちの記憶を操作してこの世に生まれたこと自体をなかったことにしています。
争いのない世界の為に。
ざっくり振り返る新世界より
↑ミノシロモドキ
学校のキャンプの課題で移動図書アーカイヴと名乗る「ミノシロモドキ」に遭遇した5人は人類の血塗られた歴史を知ることとなる。
驚くべきことは呪力を持たない人間(現代に生きる我々)がいたということ。
呪力を持つ人間と持たない人間の争いが続いた結末は資料がないため答えられないとの返答を得たところで5人は僧侶に見つかり呪力を取り上げられてしまう。
そして、僧侶に連れられ寺に向かう途中バケネズミに襲われた所でスクィーラ(野狐丸)と初めて出会う。
↑瞬は顔のない少年へ
何とか呪力を取り戻しバケネズミから逃げ帰ってきたが、瞬が業魔となり死んでしまう。
そして記憶操作により抹消されるが早季に深層心理の中で度々顔のない少年として助言したりしている。
その次に守の脆さに危険を感じた教育委員会が守を処分しようとするも失敗。脅えた守は家出を決行。真理亜は守を一人には出来ないと着いて行く。早季宛ての手紙に遠い所に行くと書かれてあった。
それから12年が過ぎ、その日は町の夏祭りだった。
そこに「ニンゲンモドキ」となったバケネズミが多数混在し、人間を襲撃。バケネズミは切り札として悪鬼を連れてきた。人間VSバケネズミの争いの中から赤髪のくせ毛の少年が出てくる。
早季にはその悪鬼が真理亜と守の子供だと分かった。
しかし倒さなければ町は崩壊する。覚と奇狼丸とともに立ち向かう早季だったが、業魔となった瞬は彼が悪鬼ではないと言う。
そして早季は気付く。
彼は自分を「バケネズミ」だと思っているから人間に対して愧死機構が働かない事に。奇狼丸に覚の服を着せ、人間に見せて悪鬼に殺させた事により悪鬼は愧死機構が働き死んだ。
切り札を失ったスクィーラ(野狐丸)は捕まり、裁判にかけられる。
その時のスクィーラ(野狐丸)の「私たちは、人間だ!」という言葉が忘れられない早季と覚。
禁忌とされているバケネズミの遺伝子を調べた覚はバケネズミの染色体が人間と同じ二十三対だったという結果を早季に告げる。
そして二人は、呪力をもたなかった人間の末路に辿り着く。
この壮絶な体験を早季は千年後の未来に向けて残した。
~~~終~~~
駆け足新世界よりでしたが、何となくわかりましたか?
実際は事細かに書かれてるので残酷です。ちなみにこの世界は同性愛>異性交遊の流れなので 瞬×覚 早季×真理亜 のカップリングになっています。けれども、覚と早季は不安から触れ合いっこしてますし、早季と瞬は異性として両想いになっています。瞬が早季に告白したのは死ぬ寸前だった為とても悲しい別れですが・・・
これは、今の社会がボノボというチンパンジーを参考にしているからです。
天使の囀りのウアカリと言い、貴志先生は霊長類がお好きなのでしょうか?
なぜ瞬は業魔になったのか
呪力を持つ人間と持たない人間の争いが続いた結末に疑問を持ってミノシロモドキに聞いたのは瞬です。
聡明な瞬はすでにこの時点で気付いていたのではないかなと思います。バケネズミの事も、いなくなっていった子供たちの事も。
今まで信じてきた世界が血塗れで更に業を重ねている。人を殺すなんておぞましい事を出来るはずないのに、バケネズミとなった人間を人間は気分次第で殺している。
街はこうゆう資料を隠している・・・何を信じれば?という気持ちがどんどん溢れてパニック障害になったのではないか・・・と。
私の完全なる想像ですが・・・。
真理亜も早季宛ての手紙にこの町は異常だと言っています。聡明であり繊細な二人・・・いや、覚と早季が図太いと言ってるのではありませんヨ。
多分覚が一番普通の少年です。
感情のまま素直に怒ったり、脅えたり、喜んだり、悲しんだり。感受性の強い人は生きづらいというのはまさにこの事なのでしょうか?
早季の強さとは
本書の中では「人格指数」とされています。
人格指数っていうのは、どれだけ、その人の人格が安定しているかっていうことを示す数値なの。どんなに想定外の出来事があって、心の危機を迎えても、自分を見失ったり、心が壊れてしまったりせず、一貫した自分を保てるか。それこそ、指導者にとって一番大事なことなのよ 。
早季にとって当たり前の事は実は他人には思いつかないこと。
一番は並外れた好奇心と、好奇心に任せて行動しちゃうこと。
決して他人にマントラを教えてはいけないといわれてるのに覚をほのめかしみせっこと称して紙に書かせる。覚の筆圧が濃い事まで計算していた早季は下に敷いていた紙から 覚のマントラをゲット!!!これが最初の危機を救います。
これってふだんから覚を見てないと、筆圧が濃いことなんて気付きませんよね?早季はすごく視野が広いことがわかります。
更にバケネズミだろうが、女王様相手だろうが、悪いことは悪い、しちゃいけない事はしちゃいけないという相手や環境が変わっても自分の芯が揺るがない強さがあります。
彼女には確かにどんな出来事が起きても自分を見失わない強さがある事が分ります。凹んだり、泣いたり、もういやっ帰りたいと思っても、現実から逃げずに立ち向かう勇気、これが一番大切な事なんですね。
バケネズミ人間だった問題
最後の最後まで全然気付きませんでした。「私たちは、人間だ!」というのも、知恵もあるし話せるしそう思っちゃったのかな?位で流してました。
それが、まさか呪力を持たない人間の行く末だったとは。恐るべし。
ここで本当にザーッと鳥肌が立ちました。
もう呪力によって殺し合うことをやめようと攻撃抑制"愧死機構"を遺伝子に組み込んだ。これによって呪力を持つ人間は人を殺す事は出来ない。
けれど呪力を持たない人間には呪力を持つ人間を殺すことが出来る。
なぜなら、呪力を持たない人間に愧死機構を組み込む事が不可能だったからである。愧死機構とはいわば呪力による自殺なので、呪力を持たない人間には出来ないのである。
そこで、邪魔になった呪力を持たない人間を愧死機構の対象外にまで貶める為に、ハダカデバネズミと遺伝子をかけあわせ、人以下の獣に変えた。
醜い生き物に変えた事で、ほとんど同情を持たずに殺すことが出来るようにする為に・・・。
バケネズミが人間であると気付いた早季は自分達も愧死機構で死ぬはずだと言うが、覚は同じ染色体を持っていようが「同じ人間だと思えない」と言い放つ。早季も同じ人間とは思えなかった・・・。
結局の所、愧死機構というのは人間の脳が同類と判別しなければ作動しないということ。その為に人が、人を・・・
恐ろしい・・・。でも何か1000年後とかに今よりもっと知識の格差が生まれて呪力までいかなくても、人を操作できる技術を持った人間となすすべのない人間に分かれたらこんな事起きそうですよね。
人の命ってチャートみたいに、時代によって日によって価値が変わっていくみたいに感じてて、その国の紙幣がその国の国民の命の値段の様に感じる・・・と言ったら言い過ぎかもしれませんが・・・
想像力こそが、すべてを変える。
これは早季達が通っていた全人学級の標語。
もし、バケネズミの本性を、人間の過去を知り、愧死機構が働くほど想像力があればこんな世界にはならなかったかもしれないし、これから1000年後にまたバケネズミの反乱が起きたときに変わるかもしれない。
これは「新世界より」の中はもちろん、現代にももちろん言えることですよね。
私は、小説とか、音楽とか、絵画とか、表現というのは必ず作者のメッセージが入っていると思っています。
必ずテーマがあり、伝えたいことがあり、情熱があります。
そのテーマや作者の言わんとする事は読者が自由に受け取るものであり、解釈は人それぞれ、間違いはないと思っています。
芸術はその存在自体が他者の箍を弛めるきっかけであると思っています。
この作品のどこが面白いとか、どこがいいとか、上手く言えません。
けれど、とても胸が詰まって悲しいです。
早季達はたくさんの人たちを失い、守る為にバケネズミと戦いました。そして血塗られた歴史の中の人間を嫌悪していました。
けれど、その嫌悪していた人間と自分達は何も変わらない事をしています。
家族も、仲間も、恋人も失くし、悲しみの果てにあったのは残酷な真実です。
自分達を囮にする作戦を口にした奇狼丸には非難の言葉を浴びせたくせに、奇狼丸に覚の服を着させ殺されるように命じる。何の罪悪感もなく、当たり前の様に。
生まれてから生きてきた今までの常識を破る事はとても難しい。
それを乗り越える為に必要なのは想像力。
ジョン・レノンの有名な楽曲も「imagine」。想像してごらんから始まるこの曲は反戦的な意味もこめられています。
すぐに変えられるものではありません。
だから早季は1000年後に当てた手記にしたのでしょう。
この小説を読み終わり、わたしは日常の色んな場面で想像してみようと思う。
今は「何となく」でしかわからない人の心に少しでも輪郭が浮かぶ日が来ることを信じて。
尚、この小説を書くに当たり貴志先生が参考にしたというのが動物行動学の古典、コントラート・ローレンツの「攻撃 悪の自然誌」というものらしい。
ここから「凍った嘴」が生まれ、「新世界より」が生まれたとのこと。
いずれ、人類が呪力を手に入れた頃の話を書くかもしれないと語ってるらしいので、何年経っても待ち続けたいと思います。
すごい作品だ・・・。