《内容》
井沢釈華の背骨は右肺を押しつぶす形で極度に湾曲し、歩道に靴底を引きずって歩くことをしなくなって、もうすぐ30年になる。
両親が終の棲家として遺したグループホームの、十畳ほどの部屋から釈華は、某有名私大の通信課程に通い、しがないコタツ記事を書いては収入の全額を寄付し、18禁TL小説をサイトに投稿し、零細アカウントで「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」とつぶやく。
ところがある日、グループホームのヘルパー・田中に、Twitterのアカウントを知られていることが発覚し——。
コンビニ人間を読んだときに感じた芥川賞なのに面白い、がある作品でした。芥川賞は面白いより新たな己に出会う、みたいなことが多いのですが、この作品はエンタメにもなれる気がする。率直に言って面白い。
交わりそうで交わらない人間関係
ミスプリントされた設計図しか参照できない私はどうやったらあの子たちみたいになれる?あの子たちのレベルでいい。子どもができて、堕ろして、別れて、くっ付いて、できて、産んで、別れて、くっ付いて、産んで。そういう人生の真似事でいい。
私はあの子たちの背中に追い付きたかった。産むことはできずとも、堕ろすところまでは追い付きたかった。
主人公の井沢釈華はミオチュプラー・ミオパチーという指定難病を患っており、身体を自由に動かすことができない。中学ニ年生で発症した釈華が一人でも生きていけるように両親は多くの遺産を残して死んでいった。
現在40を過ぎた今、釈華はBuddaというアカウントでエロい記事を書いて稼いだ金を寄付し、紗花というアカウントで「高級娼婦になりたい」と呟く。それはグループホームでのおしとやかで静かな釈華とは全く別の人格だった。
誰にも気づかれていないと思っていた釈華だったが、そのアカウントを知っている人間が一人いた。
「じゃあ何なんですか?」
どう考えても、このシチュエーションは脅迫にしか行きつかない。ただ、破廉恥なアカウントを質に脅迫されて失うものが私は殆んどないのだが……。
「でもセラピストじゃ妊娠はさせてくれないですよね」
「脅迫されて失うものが私は殆んどないのだが……。」にシュールさが漂っていて、面白い。釈華はTL向けの小説も書いているのだが、女性の喘ぎ声に♡をつけるのが流行っていることや、喘ぎ声は文字数が稼げるからよい、とか急に真顔の賢者タイムがやってくるのがものっそ面白いのだw
自らも弱者だという田中さんは釈華の裏アカを知っていることを釈華に伝え、紗花が望む中絶のための性行為はオプションでは頼めないことを伝える。釈華は前述した通り知られたところで失うものもないので、田中さんが欲しいという釈華が持て余している親の遺産と引き換えに欲しいものを手に入れようとするが…
いやここでラブストーリーにはならないのぉ!ならないよねえ!純文学だものぉ!(?)
結局お金を積んでも得られず変わりそうだった日々が変わらないまま続いていく…というやけにリアルな終わりとなった。。。いや、リアルだから純文学だよね、純文学だもの、エンタメじゃないもの…と思いながらももう少し釈華と田中さんの関係を見たかった。でも現実ってこういう交わりそうで交わらない人間関係が大半だな、と思いながら買ってよかったと思いました。