深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

グリム童話―メルヘンの深層~メルヘンは残酷な物語で溢れている~

≪内容≫

「赤ずきんちゃん」「白雪姫」「ヘンゼルとグレーテル」…。聖書とならんで世界中でもっとも読まれているグリム童話。本書は、現代思想や精神分析の知見をとおし、メルヘンの十九世紀的深層を性とエロティシズム、暴力と残虐性、女性などの観点から、あざやかに解いた力作。

 

 

本当は恐ろしいグリム童話ってはやりませんでした?

 

ちょっとエロくてグロイやつ。

実はシンデレラはひどいとかさ、そーいうやつ。

私が一番引いたのは「青ひげ」っていうお話なのですがね、青空文庫で無料で読めます。読んでみてください。

ペロー Perrault 楠山正雄訳 青ひげ

 殺した女を並べて壁に立て掛けてるの、これが童話だと・・・?っていう。

 

 

 

 

 

物語の面白さはどこから来るのか

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 本書を読もうと思ったのは、人が楽しいと思う物語とはどういうものなのだろう?と考えたとき、思い付いたのは童話であり、その中でもグリム童話は数多くの作品がディズニー作品や絵本となっているため、ほとんどの人間が知っていると思ったからです。

 

童話といえば、グリム童話以外にもアンデルセンやイソップ物語もある。

だけど、一般的なイメージは童話=グリム童話である気がしてならない。

 

私の家にはイソップ童話集なるものが鎮座していたにも関わらず、グリム童話の「シンデレラ」「白雪姫」「赤ずきんちゃん」などが一番に思い付く。

その次はアンデルセンの「赤い靴」である。

あ~あったな~と思うのがイソップ童話の「北風と太陽」。

この違いは完璧にディズニーにあると思う。

ディズニーで一番好きなのは「不思議の国のアリス」だけれど。

 

本書のあらすじにはこう書かれている。

私たちがメルヘンを面白いと思うのは、何よりもそれが「庶民の夢、心、知恵の結晶」だからである。 

 私達はグリムに関わらず童話の世界を追い体験する。

「シンデレラ」からは、どんな状況に陥っても希望を失わないこと、「白雪姫」からは知らない人から食べ物をもらわないこと、そして幼き日の私を脅かした「赤い靴」からは親の言う事をきくことを学んだ。

 

 親の言う事を聞かずに赤い靴を履いた少女は、木こりに足首から切断してもらうまで赤い靴の思うがままに不眠不休で踊り続ける。木こりが切断した足首は踊りながら森の中に消えていくのだ。

 この悪趣味な物語も、童話という形をとれば「庶民の夢、心、知恵の結晶」という美しい夢に変わる。

それはなぜなのだろう。童話が持っている魔力とは何なのか。

本書は私達の知らないグリム童話を多数紹介してくれている。一般的に発売されている本には収録されていないもっとグロテスクな物語たちがここには書かれていました。

 

 

 

 

メルヘンが残酷な物語で溢れている理由

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 メルヘンが長く読まれてきた理由が「庶民の夢、心、知恵の結晶」とするならば、残酷な描写や物語は庶民の夢であり、深層心理であり、知恵の成せるわざだったのか?

 

そもそも童話を読んだ後、子供たちの(もしくは自分の幼き日の)心に残るのは教訓である。

・こんな目に合わないように親のいうことを聞こう。

・狼の口車に乗ると恐ろしいことになるだろう。

・親から捨てられても、兄弟力を合わせることで道は開ける。

などなど。思うことはそれぞれだが、童話というのは単なる娯楽小説ではなく、生き残るための戦略の書であるような気がしてならない。

十八世紀のフランス人の四十五パーセントは10歳になる前に死んだ。生き残った者でも、ほとんどの場合、成年に達する前に少なくとも両親の一方を失っていた。子供が成人するまで生き延びられる親は極めて少なかったのである。

 現代人の目から見れば残酷な描写も、案外当時の人たちにとってはそこまで気になることではなかったのかもしれない

 そもそも生きること自体が運試しみたいなものではないだろうか。自分の両親がどちらか一人はいなくなってしまう。その結果、新たな親となる継父or継母によって自分の運命など簡単に傾いてしまう。

 

 メルヘンに描かれる罰はかなり厳しい。

「赤い靴」の罰など歩けなくなってしまう。親の言うことを聞かなかったからってそこまでしなくたって・・・と思ってしまう現代人はたくさんいると思う。

「シンデレラ」のお姉さんだって、ガラスの靴が履ければ一生歩く必要なんてないと母に言われて余った踵を切り落としてしまう。

 

 しかし、四十五パーセントの人間が10歳になる前に死ぬような世界での倫理感とはどういったものだったのだろう。

生き残ることが賭けみたいな世界では、ちょっとやそっとの刑罰では効力をもたなかったのではないだろうか。

 そして、「シンデレラ」の姉が一生自分の足で動けなくなっても王子の目に叶いたいと思ったのも、単純に豪華絢爛な生活のためではなく、ただ生き延びる確率の問題とも思えてくる。

 

 

 本書はあらすじにあるように、十九世紀的深層を性とエロティシズム、暴力と残虐性、女性などの観点、更にはフロイト派、ユング派による精神分析の結果も書かれていてとても興味深い一冊でした。

一例を挙げよう。先にも触れたように「赤ずきん」はレイプの寓話としても読むことができる。この話には「女の子がちょっとでも好奇心・冒険心を持つと、怖い目にあいますよ」というメッセージがこめられている。女の子たちは、幼いときにこのメッセージを吹き込まれることによって、「女は弱いものだ」という意識をもつようになり、受け身的な性格を身につけるようになる。

 しかし、性犯罪がなくならないーいや、むしろ増えているー以上、「男の甘い言葉に騙されてはいけない」というメッセージは、悲しいながら今も有効なのである。 

 もしもメルヘンが、その当時の人々の「庶民の夢、心、知恵の結晶」とするならば、現代の人々がそっぽを向いても何の不思議でもない気がする。

だけど、現代においてもメルヘンは人々の中で生きている。それは、今も昔と変わらないメッセージが有効な世界であるという証明でもあると思う。

 

 

そう考えると、人はそこまで変わらないし、童話というのは何より説得力のある物語ではないでしょうか。子どもにも分かる短くて分かりやすい文章がずっと生き続けているなんて。しかもその根の深いこと。