《内容》
謎の男・麦に出会いたちまち恋に落ちた朝子。だが彼はほどなく姿を消す。三年後、東京に引っ越した朝子は、麦に生き写しの男と出会う…そっくりだから好きになったのか?好きになったから、そっくりに見えるのか?めくるめく十年の恋を描き野間文芸新人賞を受賞した話題の長篇小説!
映画が大好きなので、原作読んでみました。
原作の感想は映画とだいぶ異なったので、もう一度映画の感想を見てみたら表現が違うだけで着地点同じだったw
でも原作はむっちゃ変態だなと思ったので(いい意味)、その気持ち悪さっぷりを紹介しようと思います♡
恋をどこまでも追求するとこうなる
ついたままのテレビでは、死んだペットのクローンを作る事業を始めた会社のことを紹介していた。アメリカだった。アメリカにはなんでもあった。失った誰かを求める人は、姿形を再現しようとする。心ではなく。死んだ犬と同じ黒い犬を抱いたおばさんは喜んでいた。死んだ犬が生き返ったら、この人の方が死んだことになるんじゃないかと思った。
柴崎友香さんを知らなかったのですが、絶妙に易しくない文体で進んでいくストーリーが気になってググったら芥川賞作家さんでした。本書を読んで気づいたのは、純文学ってオチがないから奇怪に思えるけど、それは違くてどこまでも一つのテーマを突き詰めた純粋な物語なんだということ。
本書は主人公・朝子の一目惚れから始まった恋をどこまでも突き詰めた物語です。
朝子はビルの最上階から地上を見下ろし、黒い豆粒となった人たちを眺めていた。そろそろ待ち合わせに移動しようとエレベーターに乗ろうとした時、エレベーターから降りた青年に強烈に惹きつけられる。それが鳥居麦との出会いであった。
自由奔放でフラっと消えていなくなってしまう麦だったが、必ず朝子の元に帰ってきた。だが、麦が消えて2年たち朝子は麦を待たなくなった。そして出会ったのが丸子亮平という麦にそっくりな男だった。
麦と同じ顔の人はちょっと笑った。やっぱりなにか隠してるんやろ、と頭の中に浮かんだ。違う人なのに顔だけ同じなのは何のメッセージなのか、と尋ねたかった。顔さえ似ていなければ、普通に話ができるのに。わたしはたぶん、この人と話したかった。
朝子にとって亮平は麦に似ている人であり、麦があってこその人物だった。だが、二人は付き合い亮平は麦に似ている人から、亮平になった。二人の関係が安定し、亮平の転職を気に東京から大阪に移動する日、朝子の前に麦が帰ってくるのだった・・・
道幅の狭い上り坂から見上げた二階のわたしの部屋には明かりが点いていなかった。わたしが見るこの部屋はいつも真っ暗で、明るいこの部屋を見るのはわたし以外の人だった。
この物語、恋する乙女は盲目というように、朝子が見ているものと他人が見ているものが絶妙に違うんです。全く違うのなら、白黒はっきりするけれど”絶妙に”違うから、「あなたはそう感じるのね」と何の違和感もなく過ぎていってしまう。
そういう日常の他人との差分、自分のことをどれだけ客観的に見ようとしても主観でしか見れないということと恋を掛け合わせた物語なのです。
実は冒頭の高層ビルで朝子を待ち合わせ相手だと勘違いし声をかける中年男性と違います、と断る朝子の描写が、そのまま恋を勘違いし続ける朝子とその他の人たちなのです。
勘違いしていない時には、勘違いしている時に見えるものは見えない。勘違いしている時には勘違いしていない時に見えるものは見えない。
キャラクターは麦というイケメンがいて、そのイケメンは後日俳優になってヒロインの元に帰ってくるが、すでにヒロインには麦似のイケメン彼氏がいて・・・!?というラブコメに死ぬほどありそうな設定で現実味ないのに、朝子が観察する日常の描写は非常にリアルでこれが才能なんか・・・と思いました。
こういうの気づいても、一冊の物語になんかできないから作家さんてなんか特別な血が流れてんのかと思う時ある。
アマプラにもあります↓
映画は原作と結構違うけど、似たような別作品としてみれるからおすすめです。