深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

苦役列車/西村賢太〜絶えず自我を襲うプライドや劣等感を抱えて生きる〜

スポンサーリンク

《内容》

劣等感とやり場のない怒りを溜め、埠頭の冷凍倉庫で日雇い仕事を続ける北町貫多、19歳。将来への希望もなく、厄介な自意識を抱えて生きる日々を、苦役の従事と見立てた貫多の明日は―。現代文学に私小説が逆襲を遂げた、第144回芥川賞受賞作。後年私小説家となった貫多の、無名作家たる諦観と八方破れの覚悟を描いた「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」を併録。

 

 最後の私小説家と言われている西村賢太さんの芥川賞受賞作品。10年以上前に西村さんが芥川賞を取った時のコメントの「風俗に行かなくてよかった」が鮮明に残ってます。笑

 

自分は自分から逃げられない

 

 土台貫多のように、根が意志薄弱にできてて目先の慾にくらみやすい上、そのときどきの環境にも滅法流され易い性質の男には、かような日雇い仕事は関わってはいけない職種だったのだ。それが証拠に、彼はそれから三年を経てた今になっても、やはりかの悪循環から逃れられず、結句相も変わらぬ人足の身なのである。

 

 主人公の北町貫多19歳中卒で日雇いバイトで生計を立てている。何はともあれこれは貫多が望んだライフプランではなかった。同年代の者と同じように大学に行き、当たり前の学問と教養を当たり前に身にまとっていたい男なのだ。

 

 だが、高校にさえ進学しなかったのは彼の向上心に欠けるところがあったことと、戸籍上は他人になっているが実の父親が性犯罪者であったことの引け目があった。どう頑張ってもそれがバレてしまえば水の泡になってしまうのだという諦観、学校の教員とのコミュニケーション不全、そういったものが積み重なり貫多は現在日当ての5500円のみに縋って生きるその日暮しの生活を送っているのである。

 

 そんな貫多が人足で出会った同年代の日下部は明るく僻み根性のある貫多にも爽やかに話しかけてくれ、仕事終わりには飲みに行ったり風俗に行ったりと仲良くなる。貫多は日下部の彼女に友達を紹介してもらおうと頼む。だが、二人の会話はプライドの高い貫多の劣等感に火をつけた。

 

「何んだ、てめえ!せんにはぼくに映画は嫌いだとかぬかしやがったくせに、今はいっぱしその理解者ヅラしやがって。女の前だからって高尚ぶるんじゃねぇよ!ぼくの云う映画とてめえらの云う映画は、映画が違うとでも言いてぇのか、このこねクレージーどもめが!何が、トークショー、だ。馬鹿の学生人足の分際でよ!」

 

 読者は社交的で明るい日下部が貫多の扱いに困り、普通こちらの気持ちに気が付くことでも貫多は気づかずにグイグイ推し進めてくる空気の読めなさを感じるだろう。貫多は悪態ばかりつき、作者の言う通りプライドが高い男で妙な勘ぐりもするのが自分のいうことを他人がどう捉えるか、という視点がすっぽりと抜けている。

 誤解を恐れずにいうと、「あ、友達いないんだな」とすぐ分かるキャラクターなのだ。

 

 日下部を利用しようとするのだが、利用の仕方が分からないのだろう。利用するマナーというのか作法を知らない。そんな感じなのだ。利用の仕方も知らない。友達で居続ける方法も知らない。だから貫多は永遠に片思いなのだ。

 人との距離感がわからない貫多の人生はまさに苦役列車そのもの。でも自分が同じ生い立ちだったらどうだろう?なんだか切なくなる作品でした。