≪内容≫
芥川賞作家・吉田修一の最高傑作を、李相日監督が渾身の映画化。主演の深津絵里がモントリオール世界映画祭最優秀女優賞を受賞、作品も2010年度キネマ旬報ベストテン第1位に選ばれた傑作。ひとつの殺人事件。殺した男と愛した女。引き裂かれた家族。さまざまな視点から事件の真相が明らかになるにつれ、観る者に「いったい誰が本当の“悪人”なのか」を問う。悪意にまみれたこの現代で、ひとは何にすがって生きれば良いのか。人間の善悪を深くえぐる演出と豪華キャストによる究極のヒューマンドラマ。
邦画って地味~に気持ち悪さとエグさでは群を抜くと思ってる。
これとか空気を読むレベルがハンパじゃないから、始終なんか鳥肌立つような空気が漂ってる。自分が日本人じゃなかったら、OH!JAPANESE!CRAZY!!!と思いそう。これほんと気持ち悪いんだ。(褒めてる)
決して気持ち良くはない。スカっともしない。かっこいいアクションもない。めっちゃ美しい人間や風景が出る訳でもない。かといってめっちゃ汚い人間や光景に出会える訳でもない。言うなれば、現実の延長、もしくは自分が知らない現実世界。邦画は洋画みたいに別世界には連れて行ってくれない。そこらへん邦画は厳しい。人間厳しさがなかったら堕落するだけだから、邦画は定期的に見た方がいい、という心理になる。
小説版感想記事↓
万人の善がないように万人の悪はない
なんでよりによって殺人犯なわけ?
出会い系サイトで知りおうた人よ?
そがん男が本気でねーちゃんのことなんか好きになるわけなかやろ?
出会い系サイトで知り合った祐一は現在テレビで報道されている殺人事件の犯人だった。光代は祐一本人から事件の真相を聞き、彼が罪を犯したことを知りながら一緒に逃げる。
あてのない逃避行である。
光代には一緒に暮らしていた妹がいたため、彼女に事情を説明し、少しでも祐一と一緒にいたいと伝える。しかし返ってきた言葉に光代の表情は凍りつく。
かあちゃんは戻ってくる
絶対に戻ってくるって
俺はなんべんもいうたとに誰も信じらんかった
俺の言うことなんて誰も信じらんかった
祐一は彼女を殺す気はありませんでした。しかし、彼女が言った「あんたにレイプされたって言ってやる。誰もあんたの言うことなんて信じるもんか。」という言葉を信じてしまった。
人は身体は老いていくけれど、どこかでずっと止まってしまっている時代っていうのが心のどこかにある人はいる。絶対いる。
そこで立ち止まっている自分を迎えに来てくれるのが、恋人だったり友達だったりするから人は誰かを求める。
だけど、全ての人に迎えがくるわけではないことはもう誰の目にも分かること・・・。
今の世の中大切な人がおらん人間が多すぎる
自分には失うもんがないちゅう思い込んでる
それで強くなった気になっとう
だけんやろ
自分は余裕のある人間って思いくさって
失ったり欲しがったりする人をばかにした目で眺めとう
そうじゃないとよ
そうじゃ人間はだめとよ
光代は迎えを待つ側ではなく、迎えに行く側として登場します。
でも今の私たちにはここしかなかやん
殺された女子大生は世間的には被害者で悪人扱いではないけれど、祐一への態度は辛辣でした。
だけど、何があったとしても彼女が悪かったとしても迎えに来てくれる親が「お前は悪くない」と言ってくれる人が彼女にはいた。
そういう人がいる側の強さ、いない側の弱さ、これは人間本来の強さではなく社会システムに鑑みる強さになり、弱い方は真実を知らずに報道の知識しかない世間に袋叩きにされます。
だから光代が自分以外の誰かに「祐一は悪人だったんだよね・・・?」って確認してもその答えは光代以外には出せません。だって、彼を一番知っているのは世界で光代だけなのだから。
クラスカーストとか、リア充バンザイとか、なんでかっていうと迎えに来てくれる人が多い方が真実がどうであれ強いからです。だから一人は寂しいとか孤独とか、そんなんだけじゃなく弱さになるから場所によっては虐げられるのです。ふざけてるよ、本当に。
こんな世界が嫌でどこかに行きたいと他の国に行ったって場所変ったって、パラレルワールドに行けるわけじゃないし、結局「私たちにはここしかなかやん?」そんなことをたまに思いながら生きてます。