深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

クラバート/プロイスラー~童心だけが滾る純粋な児童書、愛は魔法を超えるか~

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≪内容≫

ドイツの一地方に伝わる伝説を描いた壮大な長編小説。門付けをしてあるいていた孤児の少年クラバートは、ふしぎな夢の声にさそわれて、コーゼル湿地の水車場をたずね見習となった。そして、この謎めいた水車場で、親方に魔法を習うことになるが・・・。

 

純粋な児童書です。

純粋というのは、特に教訓めいたものがないからです。

大人になると読書に「教え」みたいなものを求めてしまう。

純粋なワクワク・ドキドキとは違う、勘繰りみたいな「これは、こういう暗喩だな」とか「この話を通してこういうことを大切にしなければいけないということだな」みたいな、落ちどころを探してしまう。

 

だけど、このクラバートは「愛は魔法を超えるか」これだけが描かれているのです。

特別誰かが人生について語るでもなく、何か教えてくれるでもなく、意味深な伏線があるわけでもなく、クラバートの水車小屋での毎日がただただ描かれている。

だからこそ、余計な勘繰りは作動せず「それで?それで?どうなるの!なんでそうなるの!?」という童心だけが反応する。

 

あの頃の、教訓を得たいなんて微塵も思わずに好きな本を読んでいた自分。

これは、児童書が持つ魔法だと思っています。

 

クラバート

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この作品はドイツの代表的児童文学作家オトフリート=プロイスラーが1971年に発表した作品です。

プロイスラー氏は1923年に今のチェコ共和国のボヘミア地方のライヒェンベルク(チェコ名リベルツ)にドイツ人の家に生まれます。

1923年というと、チェコ共和国は当時チェコスロバキア時代。

1931年に始まった第二次世界大戦にもドイツ軍として参加しています。

クラバートの素材となったのは「ドイツ伝説集」という13巻に及ぶ全集本の中の「ラウジッツ地方の伝説」という一巻。

 

 ラウジッツ地方には、ドイツ人(ゲルマン民族)とヴェンド人という少数のスラブ系の人々が住んでおり、それは独自の言語、服装、特色のある慣習、豊な民族的な伝統をもった西スラヴの小民族です。

 

 「ラウジッツ地方の伝説」をきっかけに、プロイスラーは自分の「クラバート」を執筆する際、クラバートの時代、17世紀~18世紀初めにかけてのヨーロッパの歴史的背景、ザクセン選帝侯国のラウジッツ地方に住んでいたヴェンド人の風習、そのころの水車場の状態、構造、職人の生活、古くから伝わる、魔法の話などを徹底的に調べたのです。

 

 クラバートは不思議な声に導かれ、荒れ地の水車場の見習いになります。

しかし、水車場の見習いってなに?

という疑問がまず私の中で生まれたので調べてみたところ、水車の回転の力を利用して杵を持ち上げたり挽き臼を回したりしていたようですね。

 

児童書なので深く考えずに読めるのですが、掘り下げてヨーロッパの歴史背景も視野に入れると更に楽しめそうです。

 

ヨーロッパでの水車小屋の番人は忌み嫌われていたことは下の本に記述があり

「差別感情の哲学」の記事を読む。

西洋史の上では、都市の発達と貨幣経済の進展に伴い、かつての古代原理である「地水火風」は放逐され、その原理に携わっていた者、例えば地に携わるごみ掃除人水に携わる水車小屋の番人火に携わる煙突掃除夫風に携わる風車小屋の番人などを被差別者として排除していった。近代合理的価値観の導入によって、こういう自然を操作できる者は超能力をもつ者として恐れられていったのである。(中世賤民の宇宙/阿部謹也) 

 

魔女狩りの発端も、当時の中世ヨーロッパで猛威をふるったペスト、男たちの戦死、飢饉・・・というたえまない禍を引き受ける者として、魔女がうまれた。

自然に関わる者(地水火風)、動物と交流する者(羊飼い)、生死という不可解な恐ろしい者を職業にする者(産婆、娼婦、墓掘人、首切り人)は恐れられ、被差別者になっていく。

女は生殖能力という生に関わる恐ろしい者とされた。

実際魔女狩りと言っても、男性も裁判にかけられたりしていたようです。

 

最後には、クラバートもみんなもせっかく覚えた魔法を失います。

魔法はやはり恐れなのかもしれません。

 

大事なこと

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好きな人が出来たクラバート。

好きな人が出来るということは、クラバートだけではなく全員の解放に繋がることをユーローから聞いたクラバートは、親方の試練を乗り越える訓練を行うが、全く上手くいかない。

親方の試練を乗り越えなければ、自分も、彼女も死んでしまう。

どうせ死ぬなら彼女は巻き込みたくないと弱気になるクラバートにユーローはこう言った。

 

おまえがきめるかについては、さしあたって考える必要はまったくないよ。おれたちにとってそれより大事なのは、進歩することだ。

勇気を失わず、あきらめたりしないで、年の暮れまでにどれだけうまくやれるようになるか、ともかくやってみることだ。

おれの言うことを信じろよ。

 

進歩すること。

全くその通り。

あきらめるよりとりあえずやってみること。

ユーローだってこんな事をクラバートと行っていることが親方に知れたらどうなることか・・・命がけです。

「おれを信じろ」そう言ってくれる友がいるのはとても心強いですね。

 

はぐくまれる魔法

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ついに親方の試練の当日。

しかしユーローから聞かされていた全員カラスの姿になり、その中から彼女に見つけてもらうという試練はではなく、彼女に目隠しをしてクラバートを見つけろと言いだす親方。

もうダメだ・・・と思ったクラバートだったが、なんと彼女はあっさりとクラバートを見つけ出したのだった。

 

「どうやってきみは、仲間の職人のなかからおれをさがしだしたの?」

 

「あなたが不安になっているのを、感じとったのよ。」と、娘は言った。

 

「わたしのことが心配で不安になっているのを。それであなただとわかったのよ。」 

 

ユーローは以前、クラバートにこんなことを言っていました。

 

苦労して習得しなければならない種類の魔法がある。それが『魔法典』に書いてある魔法だ。記号につぐ記号、呪文につぐ呪文で習得してゆく。

それからもうひとつ、心の奥底からはぐくまれる魔法がある。愛する人にたいする心配からうまれる魔法だ。

なかなか理解しがたいことだってことはおれにもわかる。

ーでも、おまえはそれを信頼すべきだよ、クラバート。

 

世の中には奇跡としか言いようのない出来事があります。

九死に一生を得た・・・なんて言い方もありますが、もしかしたらあなたを心配する誰かの魔法がそこにはあったのかもしれません。

 

カラスに変身したり、空を箒で飛んだり、そんな魔法はありません。

だけど、もし人間が魔法を使えるとしたら、それは心の奥底からはぐくまれる心配という名の魔法かもしれません。

 

クラバートと少女は、ほとんど会ったことも、会話も碌にしていません。

夢の中で会ったり、クラバートが少女の脳に直接一方的に話しかけるだけです。

そんな中ではぐくまれた愛はなによりも純粋だなぁ・・と思います。

 

子どもの「好き」って根拠がないんですよね。

「好き」も「信じる」も、自分がそうしたいからっていう気持ち一つで邪心がない。

 

どうしても年齢を重ねるたびに失いたくないものや、傷付きたくない気持ちが上回ってしまう。

それは自然なことのように思います。

だからこそ、忘れないように、純粋なものに触れる機会を持つことが大切なように思います。

死ぬまでに是非一度は行ってみたい。ドイツ。