≪内容≫
調和と和解の世界を描く最後の傑作「あらし」。
別名「テンペスト」。
絶園のテンペストがちょっと好きでした。
それでいつかは読みたいと思っていたシェイクスピアのテンペスト。
夏の夜の夢と同じく妖精が登場する喜劇です。
シェイクスピアの最高傑作らしい
それにしても「あらし」に関しては、その嘆きが殊のほか深い。が、それはもう言うまい。
だが翻訳不能の原文の美しさを別にしても、「あらし」の様な作品について、我々はどうしてその感動を語り得ようか。
何かを語れば、作品そのものの、そしてこれから受けた感動そのものの純粋と清澄とを穢さずには済まされまい。
「あらし」はそういう作品なのである。
翻訳者の福田さんの言葉です。
私は正直あまりピンと来なかった作品です。
「許し」の話であり結婚の話で、妖精が出てきたり、言葉が美しいというかオシャレなのはすごく分かります。
その時、奴さん、溜息で一所懸命辺りの空気を冷しておりましたっけ
とか、すごいセンスある言い回しをするな~と呼んではいたんですけど、いまいち他の作品より入り込めなかった。
これは今年の内にもう一度読みなおそうと思いました。
たぶん私の精神状態的に余裕がなくて、本の世界に入り込めなかったんだと思われます。
たぶん素晴らしい作品なんだと思う。たぶん。
タイミングが合わなかっただけです。たぶん。
訪れし不幸はなべて珍客の如くもてなせ
あらしという作品は弟に国を奪われた兄が娘とともに孤島に住んでいて、そこで魔法を会得。その魔法であらしを起こし、弟たちの船を襲う。
その船に乗っていた王子と娘の結婚、自分たちの目の前に現れた弟たちを許すこと、孤島で得た魔法と妖精を手放すこと、が描かれています。
国を奪われた兄も、あらしに襲われた者も「訪れし不幸はなべて珍客の如くもてなせ」精神で喜劇となったと私は思っています。
シェイクスピア作品の悲劇オセローでも言うじゃないですか。
過ぎ去りし禍いを歎くは、新しき禍いを招く最上の方法なり。
ここが悲劇と喜劇の分かれ目かと。
さて、訪れし不幸が今、私の右肩から右目にかけて現れたのですが、珍客のようにもてなせば食いっぱぐれ無しということなので、珍客のようにもてなそうと思います。
だけどね、「妖精がいるなんておかしい」「人間が魔術を手に入れるならまず眼精疲労治してもらうわ」などと何かにつけて文句を言いたくなりました。
読書も余裕がないと出来ないものですよね、ほんと。
何事も身体が基本ですね・・・例えインドアでも。
珍客が珍客でありますように。