深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

火花/又吉直樹~優しくない奴は面白くないという真理~

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≪内容≫

売れない芸人の徳永は、天才肌の先輩芸人・神谷と出会い、師と仰ぐ。神谷の伝記を書くことを乞われ、共に過ごす時間が増えるが、やがて二人は別の道を歩むことになる。笑いとは何か、人間とは何かを描ききったデビュー小説。第153回芥川賞受賞作。芥川賞受賞記念エッセイ「芥川龍之介への手紙」を収録。

 

話題作を読む。

 

何でもそうなんですが、好きでやってるんだなってことが画面越しなり紙越しに伝わってくるとそれだけで好きになっちゃうなあと思います。  

 

好きなことをやるということ

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神谷さんに悪気がないのはわかってます。でも僕達は世間を完全に無視することは出来ないんです。世間を無視することは、人に優しくないことなんです。それはほとんど面白くないことと同義なんです。 

 

 本書は好きなことをやるということと、世間との狭間の話かな?と思います。

これはお笑いを目指す方だけでなく、夢を追う人達は読むといいかな、と思う。

 

神谷さんは主人公・徳永が尊敬する漫才師で、とても純粋な人です。

本書における私が思う純粋がどういうことを言うのかというと、誤魔化しがないということです。

 

神谷さんの漫才に対する情熱、借金で首が回らなくなるとしても後輩に御馳走することはやめられない不器用さ、自分のやりたいことの為に女性のヒモになる非常識さ、自分が面白いと思うことに対して周りが見えなくなるくらいのめりこむところ。

そういうところに徳永は惚れていきます。

 

神谷さんは面白いことのためなら暴力的な発言も性的な発言も辞さない覚悟を持っていた。一方、僕は自分の発言が誤解を招き誰かを傷つけてしまうことを恐れていた。

(中略)

面白い下ネタを避ける時、僕は面白い人間でいようとする意識よりも、せこくない人間であろうとする意識の方が勝っているのだ。

 

徳永は神谷さんの漫才に一直線に向き合う姿勢に嫉妬心を持っていました。

徳永も不器用だけれど、不器用のベクトルが違うという感じですかね。

 

例えば神谷さんは飲み会を開いたり、徳永にするように後輩を可愛がったり、そういうコミュニケーションが取れる。

対して徳永は飲み会で女の子が隣に座っても神谷さんの隣に移動したり、舞台監督と飲む機会があっても挨拶するタイミングが掴めず居場所をなくしてしまったりする。

 

そして神谷さんのコンビも徳永のコンビよりも先に売れる芸人がいた。

 

鹿谷には一時も目を離せない強烈な愛嬌があった。

 

芸人さんに限らず、人が人を求めるときって愛嬌なんですよね。

これはすごく分かる。生きてきた年数分より分かる。

これを生まれつき持っている奴というのは強い。

 

女は愛嬌、男は度胸なんて言うけれど、男女分けず人たらしっていうのは愛嬌がずば抜けていると思うんです。

じゃあこの愛嬌ってなんだ?ってなると、これを文字にするのがすごく私的には難しい。

"感じ"。「あの人感じがいい人だな」て言葉があるじゃないですか。

たぶんこの"感じ"なんです。

これってね、私が思うに後天的に身に付けた人と先天的に持っている人って同じような"感じ"に思えないんです。

これもそう感じるっていう頼りない感覚なんですが、後天的に身に付けた人が意図してサービス精神を発揮するのと、生まれつきサービス精神が備わっている人がやるのでは、自然って部分でどうしても生まれつき持っている奴の方に分がある。

「カント 美と倫理とのはざまで」の記事を読む。

 ↑の本に書いてあってすごく納得したのが、天才というのは相手に自然だと思わせることができる人、という部分。

 

才能とか天才とかいうと、職業的な意味合いが強い気がしますが、愛嬌を持っている、サービス精神が旺盛っていうのは割と強い才能なんだと私は思う。

 

なんで強いかというと、人って「あ、これ気を使わせちゃってるな」って感じるとその人に対して自分の感情を押しこめちゃうからです。

誰だって気を使わずに話したいし、話した後「言いすぎちゃったかな・・・あいつちょっと微妙な顔してたもんな・・・」とか後味悪い反省は出来る限りしたくないもの。

 

それに本意でないけれど仕方なくサービス精神を取り出して頑張った人って、どこかで壊れてしまうか、誰かに愚痴ってしまって、結局相手に知られることとなり誰にとっても悲しい結末になってしまう。

 

気を使えや~!なんて言う人だって、相手に無理させたり壊したりしたい訳じゃないと思うんです。もちろん中には意地悪な人だっていると思うけれど、世の中の大半の人は相手と笑い合いたいもの。分かち合いたい、一緒に楽しみたいと思うと思う。

 

愛嬌がある奴ってそういう場所を提供できる奴なんです。

ちょっと非常識だったり、上司に生意気したって愛される奴っていうのは、やっぱり誰かを幸せにしてるから愛されるんです。

しかも自分もそれで幸せになってる。

愛されるから幸せになってるんじゃなくて、自分がすることで相手を気分よくさせられたことに幸せになる。

ああ文字に書くと難しい。

要するに結果論な気がします。やってるときは無意識。結果的に好かれてる、愛されてる、そんな感じです。

 

で、人気ってこのサービス精神がものをいうと思うんです。

 

世間を無視することは、人に優しくないことなんです。それはほとんど面白くないことと同義なんです。 

 

人に優しいことと、面白いことが同義。

これは割と真理だと思う。

 

だってたくさんの人を笑わせたいって思うなら、世間を無視したことしても面白くないのは自明の理ですよね。

だって大衆は世間だから。

これ色んな夢追い人に思うのですが、自分のやりたいことをやるために年金を払わないとかね、誰かに背負ってもらうとかね、そういう人が多いんです。

「だって将来年金貰えるか分からないじゃん」ってね。

確かにそう、未来のことは誰にも分らない。

 

だけど、あなたが認めてもらいたいのは世間でしょう?

もしも個人的にやりたいことをやって恋人なり家族だけに公開して満足するなら、社会はあなたに介入しない。

だけど、社会の一人として表現してお金をもらいたい、職業にしたいと思うなら、やはり認めてもらいたい人間がやってることはやんないとダメだと思うんですよ。

 

若さの武器ってここだとも思います。

まだ親の扶養に入れてる、年金の支払い義務がない、とかね、そういう点で背負うものが少ない。私はハイリスクハイリターンと思ってしまう。

 

大人になったら、やっぱりやるべきことやってない人を認めることは難しい。

だって、やるべきことをやってない奴を認めるってことは、自分がやってること(やってきたこと)を否定することになる人が出るんです。

それって優しくないでしょ?

 

もちろん人は平等じゃない。

自分は真面目にコツコツ働いて税金納めて暮らしてきたAさん。かたや好きなことやって税金払えなくても何とかごまかしてやってきて、デビューしたBさん。

私はね、こういう問題考えるとめんどくさいんで「へえ」で済ませて見なかったことにしちゃうけど、やはり激怒する人はいます。ずるい!おかしい!どうして?って。その気持ちだってめちゃくちゃ分かります。

 

人の人生は十人十色ですし、事情ってものがあります。

だけど、受け入れてもらいたいなら優しさを持たないとだめです。

 

やりたいことだけやってる成果出してる奴なんてほとんどいないと思います。

芸人さんが本読んだり、音楽家が柔道やったりね、色んな人と触れ合って色んな感情や事情を知って、「あ、こういう発言で傷付く人がいるな」「これは思いやりがないな」ってことを学んでいくのです。

愛嬌の持ち主、サービス精神が旺盛な奴っていうのは、そういうことを経験として積むことはもちろん、目ざとく気付くことができる気がする。

 

私の大好きな岡本太郎さんは世間に逆らうような絵を描いたと仰ってます。だけど優しくないわけじゃないです。とても熱く、優しいと思うのです。やることやって世間に刃向かう、もの申すっていうのが筋。hideさんだってロックだけどすごく優しい。人って優しい人には優しくしたいし、優しさに触れたから優しさを持てたり、優しさを貰ったからお返ししたくなったりするものだと私は感じてます。

 

 

ルールは壊すためにあるんだ!という人がいますが、それは守った人が言うことだと私は思う。考えるな、感じろ!もね。無意識で感じられるくらい訓練を積んだ奴の最終奥義みたいなもんだと思うんです。

 

こういうことを言うとつまらないと思うかもしれないですが、人のこと考えない芸術で感動してる人なんてほとんどいないと思う。

音楽だって絵画だって金持ちにお金出してもらって、金持ちの要求を呑んでやってきた歴史があります。それが後世にも残ってる。素晴らしい、素敵、感動、っていう感情を現代の人にも起こさせる。

もちろんやりたくてやってるっていうことは大前提なのだけど、それだけじゃ人とは触れ合えない。